まみ めも

つむじまがりといわれます

ためらい

ためらい
ならし保育というのがはじまって、朝の九時から十時半まで、ぽっかりとひとりの時間を与えられてしまった。駅前まで歩いてって、ミスタードーナツにはいる。店の奥まった喫煙席だけ照明がついている。わたしは禁煙席の窓際ソファにどさりと座ってドーナツとミルクティー、窓から射し込む春の午前の光で本を読むのが、お定まりになった。ひとりで喫茶店にはいり読書に耽溺するということがしばらくなかったもので、初日はよほどわくわくしたが、蓋をあけてみたら、任してきた息子のことが気になって、視線は文字のうえを滑るばかりでちっとも気持ちがはいっていかない。店内のオーディオでは山下達郎が、この先はドーナツ、なんて浮かれた歌をうたっていて、わたしのお尻はいよいよ落ち着かないで、何度も足を組みかえているうちに時間が過ぎた。
ドーナツというと、やっぱり穴があいているのが醍醐味だとおもう。だから、ドーナツで一番おいしいのは最初のひと口。そのあとはもう穴がなくなってしまうから、つまり、ひと口かじられたあとのドーナツはもはやドーナツではないんじゃないかとおもう。穴なんて、そもそも実体のないものなのに、ひと口たべたら実体のないはずのものがなくなってしまう、そうすると、最初のひと口というのは実は穴を食べているわけで、穴には本当に実体はないんだろうか、そもそも実体ってなんだろう、なんて、そういうしょうもないことをつらつら考えている自分がいかにもあほらしくって愉快。

晩秋の海、港に浮かんだ黒猫の死体…。幼い息子を連れ、海辺の村へ友人を訪ねてやってきたぼく。だが、突然“ためらい”に襲われ、謎めいた日々が始まった…。文章の魔術師の不思議な魅力の新境地。

北浦和ブックオフで¥105。表紙のデザインがいい。杉田比呂美というひとの絵らしい。目を伏せた男の人が、あかんぼうを抱いて、あざらしのぬいぐるみのようなものをぶら下げている。タイトルをはさんで夜の灯台。あとは空白。妙に不安なきもちにさせられる。ページをめくると「今朝、港で猫の死体を見た。」と書き出してあって、それを読んで買うことに決めた。内容はというと、ドーナツの穴のような話で、実体のないような、でも、実体のないはずのドーナツの穴がひと口食べられるまさにその刹那に放つ、存在の極み、ぎりぎりの昂りみたいな緊張感がある。ものすごいエンターテイメントがあるもんだと思った。