まみ めも

つむじまがりといわれます

木炭日和

木炭日和―’99年版ベスト・エッセイ集 (ベスト・エッセイ集 (’99年版))
週末は駅前まで髪を切りに出た。おかっぱで、と、注文する。どのくらい?、どのくらいがいいのか自分でもよくわからんのだから難儀する。バッサリ、と伝えると、ここらへん?と示してくる。いやもっと、ここらへん?、よくわからんまま、じゃあそこらへんと手を打つ。前髪もバッサリおねがいしますという。眉毛くらい?といわれるが眉毛のところが長いのか短いのか判然しないので、できるだけ短くと伝えたところ、これ以上切ると立ちますといわれた。中学の同級生のK子を思い出す。K子は、三つ年上のお姉さんと喧嘩した翌朝、前髪がみごとに立っていた。ねている間にはさみでチョン切られたという。さすがに異様な短さだった。あれになっては困るとおもい、立たないようにおねがいしますと念を押した。髪を切ったら気持ちもさばさばとして、外は暑かったので100均でジンジャーエールを買って飲んだら、パンチのないぼやけた味がした。その夜息子が熱を出し、日曜日がつぶれ、月曜日は会社をやすんだ。昨日になって頬につぶつぶと発疹がたった。ヘルペスだったらしい。きょうは、ふとビールをコップに一杯やってみた。案外なんともない。前ほどおいしいとおもわない。そのうちまたおいしくなるんだろうとおもう。
エッセイ集は昼休みに読んだ。弁当を15分足らずで終えたあとの30分、インスタントコーヒーを啜りながら読むのがうれしい。中に「倉田百三のラブレター」という一編を見つけてすこし興奮。じつは息子の名前をかんがえているときに、だいすきな内田百間からとって百三というのをひそかに思ってみたことがあった。倉田百三というひとがあるのを知らなかったが、戦前に青年必読といわれた書をしたためたひとであるらしい。その百三氏が、四十六歳妻子ありの身で十代の少女に熱烈なラブレターを書き送ったものをまとめた「絶対の恋愛」という一冊があり、それにまつわるエピソードを古書店主のかたがエッセイに綴っておられる。これがまたものすごくて、いい年こいたおっさんが、どっぷり恋の淵にはまってしまって、少女にむかって、

それから、その紙切れの中に、あなたの女性としての操の、最も聖所に生える毛を(私にとつては、それは聖物です)極く一つまみ入れて、両端を縫ひ、そのお守袋を、私の珠数と引き換へに、私に渡して下さい

なんて言ってしまう。おもわず湯船に浮いた自分のちぢれ毛をしみじみ眺めてしまった。こんなこと、いわれたら、おぞおぞして寝込んでしまいそう。でも、戦地に赴く兵隊さんもちぢれ毛をお守りにしたなどいうし、そういう絶壁の淵でじりじりと追い詰められれば、わたしだって誰かのちぢれ毛にすがりたいような気持ちになるのかもしれない。さらさらストレートの毛よりは指に絡まりよいであろうし、淵から落ちるのをぎりぎり留めてくれる効果もあるやもしれぬ。そんなぎりぎりの(ぎりぎりアウトだったかもしれないが)恋愛を思う存分繰り広げたんだから、この百三というひとはおおいにしあわせだったろうとおもう。絶対の恋愛。絶対の、恋愛。絶対。何度かつぶやくと、絶対ということばに打ちのめされそうになる。いつか読みたい。