まみ めも

つむじまがりといわれます

浴室

浴室 (集英社文庫)
ブックオフでトゥーサンがあったのでやっぱり105円で購入したのを、きょう、通勤の車内で読み終えた。イヤフォンではステレオフォニクスを聴いていた。通勤は、片道一時間かかる。朝は駅のホームが混雑するので少し早めに出て、ホームで通勤の人に背中を押しやられたりしながら本を開く。通勤のかばんが重たいのは難儀なので、文庫を一冊だけ入れておく。一時間のうち、本を開くのは15分程度かもしれない。それでも、音楽と本があれば、世界は簡単に閉じる。蝸牛のような気分で本と音楽の殻につつまれて電車に揺られる。主人公は浴室で生活しはじめた若者で、その時点でなんだかデジャヴなわけだけれども、というのは、数年前のわたしというのは、アパートの浴室に入り浸っていたんだった。休日は、朝から風呂につかって本を読んで、ビールを飲んで、研究室にふらりと行って、帰ってきてからまた風呂で本を読み、夕飯を食らい、そのあともまたビールを飲みつつ風呂読みしていた。夜はそのまま風呂で寝こけてしまうこともあった。浴槽につかりながら湯がだんだんぬるまって、体温とおんなじくらいに下がりきったところがなんだかものすごく心地よく、胎内ってこんな具合だろうと思いをはせてうっとりしていた。アルコールを飲んでいるものだから、本の内容がちっとも記憶に残らず、何度もなんども行きつ戻りつしながらページを繰った。今おもうと、あの頃は気持ちが切羽詰っていた。わたしをあったかく包んでくれるのは、風呂と蒲団ぐらいしかないような気がしていた。わたしには自堕落はむいていないのだと、今になって思う。平気なつもりでいたけれど、自堕落になればなるほど、気持ちがふさいでいった。本当に自堕落をやるというのは、かなり覚悟のいることだと思う。デジャヴを裏切らず、この小説の主人公もやっぱり心に余裕がない。性格が歪みきっているおかげで、あらゆるところで摩擦する。そのさまが、いかにも鏡の中の自分を見るようで、主人公が世界のすべてに苛々するさまに苛々し、小説のなかのことに苛々しだした自分にもまた苛々し、苛々が苛々を呼んで無限ループに突入して加速してブレーキが利かなくなり、ついには途中で本を放り出したくなった。この癇癪っぽいところまで主人公に似ている。そのくせ読み終わったあとはなんだか気分がよかった。野崎歓があとがきにいうとおり、メビウスの輪のように閉じた小説だと思った。