まみ めも

つむじまがりといわれます

日本探偵小説全集8 久生十蘭集

日本探偵小説全集〈8〉久生十蘭集 (創元推理文庫)
友達が家の表札をつくってくれた。字も歌もうまく、運動もでき、なにをやってもすらすらと人並み以上にやってのける彼女を、取り柄のないわたしはずっと凄いなあとおもっていたけれど、そんな彼女が、書道は本気でがんばりたいといっていた。まじめな彼女なんだから、おもいっきりがんばるんだろう。おもいっきりがんばるひとは、手放しで応援するしかない。友達が篆刻した表札を掲げるなんて、なんて冥利な話。
久生十蘭集は、長野の古本屋で買った一冊。もったいなくてなかなか手が付けられなかったのを、通勤カバンにいれて読みはじめたら、初っ端の湖畔、読むのは二度めだけれどもギュンギュンおもしろくって、通勤も昼休みも夜のベッドのお供もすべて十蘭になってしまった。湖畔は、ねじくれたラヴストーリィなんだけれども、顎十郎捕物帳なんかは、べらぼうに顎のでかいとぼけた男が主人公の軽妙な推理譚で、鯨が江戸の市中からあっさり消えてみたり、狸に化かされるような話だったり、どうにもおさまりがつかないような話があっさりと紐解けてストンと終わる。そうかとおもうと骨仏や水草、昆虫図という短編は、犯罪の匂いをすっと仄めかして、クレゾールかなんかの匂いでも嗅がされたような余韻が妙にうつくしい。
巻末に収録された細君のエッセイは、たった三頁だけれども、私生活を明かそうとしなかった十蘭の日常が垣間見えて、その生活がやっぱしいかにも天才的でかっこよくって、わたしはいよいよ十蘭に参ってしまった。作品は口述筆記で徹夜ででも奥さんに書き取らせ、話しながら泣いたり笑ったり、めしを食うと頭がにぶるといって仕事中はほとんどたべない、食事のまえは朝でもハイボール。痺れる。二十とししたの奥さんにだけは強く封建的な男が、死ぬる前日に、看病に疲れ果てた奥さんの頭をなにもいわずなでたのが、唯一の感謝だったらしい、そのくだりを読んで、京浜東北線の車内で涙がにじんだ。涙ぐみながら、わたしはこんな封建的な男とは絶対うまくやれないとおもった。