まみ めも

つむじまがりといわれます

月は沈みぬ

月は沈みぬ (新潮文庫 赤 101B)
日曜日は筈氏の誕生日だった。誕生日プレゼントはマフラーと手袋で、もう十日も前に渡してしまった。マフラーはいろんな柄がいっしょくたになったピンクめいたもの。わたしはピンクを着るような一見ナイーヴそうな男が好きだが、かといって実際にナイーヴな男は苛々するので勘弁して欲しい。手袋はスマートフォン対応なのか親指と人差し指だけ指先がない。毛糸が足りなくなってごまかしたみたいでおかしい。日曜日は京浜東北線にがたがたゆられて有楽町にでた。京浜東北線の車内で息子と窓の外をながめていると高崎線に追い越されたり反対方向の電車にすれ違ったり、王子の駅では飛鳥山公園の傍にケーブルカーだろうか曖昧な乗り物が見えたりなかなかにたのしい。有楽町の駅前の年末ジャンボ宝くじの売り場にやったら長い行列ができていて、なにやら縁起のよい日よりであるらしかった。銀座の三越デパートで義父母とおちあい、そのままレストランにはいり、わたしはデパートのレストランというものが日曜日のサザエさんみたいで、自分にはフィクションであったもののなかにいきなり放り込まれたような変な気分になりながら息子にお子様プレートを食べさし、自分は肉のごろごろしたカレーライスを食べた。隣のテーブルにはおめかしした少女が風船をふわふわしており、息子は風船が気になるらしく女の子がにこにこと手を振るのにちっとも気がつかないでいる。買い物をして、夜は大相撲の千秋楽をテレビでみて、夕飯は刺身をたべたいというリクエストだったのでスーパーで買った刺身をつついて乾杯をした。それからコージーコーナーで買ったケーキを食べた。ショートケーキにすればよかったなとあとから思う。
筈氏の本棚よりスタインベック・デヴュー。怒りの葡萄も読んだことないが、なんとなく怒りに任して葡萄を投げつけるような図を想像するが、違うだろうな。月は沈みぬもどんな話か知らずに読みだしたら、戯画化されておりながらかなしく前向きな話であった。水木しげるの劇画ヒトラーの感じを思い出した。人間て滑稽なんだなとおもう。滑稽でない人を思い出そうとしてみたら、誰も彼も滑稽に思えてくるので滑稽でない人はおらんのかもしれん。前向きなといったが、前向きなような描写なだけで、結局は人間の業のふかさだとおもった。本棚に戻すときに、読み終えた本は右端に戻していくが、三冊くらいまえにヘミングウェイ日はまた昇るがあって、タイトルをならべたくなったがよした。