まみ めも

つむじまがりといわれます

もうひとつの話(ちくま文学の森別巻)

もうひとつの話 (ちくま文学の森)
女(ハイネ)/島の果て(島尾敏雄)/かもじの美術家(レスコフ)/平手造酒(中山義秀)/極楽急行(海音寺潮五郎)/空飛ぶ大納言(渋沢龍彦)/鷹(石川淳)/赤い花(ガルシン)/生涯の垣根(室生犀星)/ボロ家の春秋(梅崎春生)/シシフシュ(ボルヒェルト)/モンタヴァル一家の血の呪いについて(寺山修司)/ガラスの少女像(T.ウィリアムズ)/鳩の夫婦(マンスフィールド)/チロルの秋(岸田国士
ちくま文学の森シリーズは15冊あって、この別巻には15の短編がはいっているのだから、もとのテーマに充てられた物語がひとつずつ選ばれてあるのだろう、けれどどれがどの話というのは示されてないので、これがおかしい話、これが怠けのもの話、これが幼かりし日々、と、ひとつひとつテーマを想像しながら読む。読み終わったら、一番気に入った話の冒頭にスピンを挟んで終わりにする。この本では、室生犀星「生涯の垣根」にスピンが戻った。庭師との珍妙な関係を描いた話で、珍妙さに切なさが混じり、縁側に座ってぼんやり日が暮れていくような、そんなぽかんとした無為の時間を読書であじわう。至福。
長い里帰りを終えて先の土曜に鎌倉にやってきた、というのは、家のリフォーム工事が終わらないので、筈氏の実家で工事の終わりを待つことになったからだった。家は山のてっぺんにあるので、携帯電話のアンテナもほとんど入らない。奥の和室に床を延べて、庭の池を水が流れる音やひぐらしの声を聞きながらひねもす本を読んだりして過ごす。きょうは庭の池に蛇が泳いでいたらしい。夜は川の字で眠る。川の字のまんなかは大の字になっている。大の字になっているだけではなくて、実際おおきい。生まれてきょうから3ヶ月という日にベビースケールにのっけてみたら、8650グラムあったので、おどろいた。成長曲線度外視の成長ぶりで、わたしの腕がついていけず腱鞘炎になり、しばらく様子を見ていたがとてもよくなろう気配がないもので、整形外科にいった。医者は手首を見るなりつかんでぎゅっと押す。痛いでしょという。痛い。注射一本で治るけど痛いよと脅された。エーといって、ほんとうに痛いんですかときくとふふふと不適に笑い、手首をむんずとつかまれ、逃げるなといわれた。観念。手首に垂直に針が入る。見た目には痛そうというよりぎょっとする光景ではあるが、たいした痛みはなく、白いふわふわしたものが浮遊する液体が手首にゆっくり注入されるのを、じっと眺めていた。あとから処方をみたら、リンデロンだった。しばらく痺れがあったけれども、甲斐あって治ったらしい。
あすから下田へいくことになっている。