まみ めも

つむじまがりといわれます

太陽

太陽 [DVD]

1945年の日本。第二次世界大戦終戦直前。宮城地下に設けられた防空壕昭和天皇は朝食を摂る。ラジオからは日増しに激化する沖縄戦の様子が流れ、天皇はそれを止めさせる。御前会議、研究所での生物学研究を経て、ようやく一人の時間を持つ天皇。夢の中で、東京大空襲の悪夢が蘇る。そして敗戦。天皇疎開中の継宮へ手紙を書く。

エート、実はしまいまで見られずじまい。なぜかというに、我が家のアナログテレビ環境下において、画面薄暗く、せりふボソボソとし、イッセー尾形の名演により読唇もかなわず、すくいを求めて英語字幕をいれてみたところ英語のはやさについていかれず、いっぽうでボソボソきこえてくる日本語がチラチラときもちを散漫させるゆえ、ちっとも話の筋に集中できぬというもので、途中でやめてしまった。こないだうちから見ていた北の国からもせりふが聞き取れず難儀したが、あれは日本語字幕があったので、よかった。日本語字幕がほしかった。
しかし、実際しまいまで見たにしろ、皇室と宗教と政治、このみっつに関してはいろいろアブナイので迂闊に発言してはならんと、むかし何某からいわれた教えが染みついているので、なんともいえなかったろうとおもう。いずれにしてもなんともいえないので、イッセー尾形のラジオの話をする。産後は思いがけず長く石川で過ごした。あかんぼうが泣いて、おむつを替えておっぱいをあげてゲップをさせて、という一連のことをやるのに、はじめのころは一時間くらいかかった。きれぎれの睡眠のあいまで、あかんぼうが乳を飲みきった瞬間二カッと笑うのが、褒美のようなものだったけれども、病気でなかなか眠れない。ねむれない眠れないと思案するうちにやっとウトウトしだしたところをあかんぼうが泣くので、起きているあいだはなんだかボンヤリしとった。乳をふくませながら寝そうになることもよくあった。それで、気晴らしにラジオをつけた。なかでも、イッセー尾形が週末にやっている、誰も知らない加賀百万石というプログラムがいっとうおもしろかった。イッセー尾形が地元の市井のおばさんを方言で演じるのだが、その方言もネイティヴさながらだったし、方言を逆輸入するかっこうになり、ことばもイントネーションも、あらためてきいてみると新鮮だった。また脚本が秀逸で、ありふれてはいるけれども滑稽なエピソードが、方言というフィルターを通すことでよりニッチな奇妙さをはらんで、でも、この奇妙さが娑婆のリアルなんだろうと、おもいながら、聴いた。