まみ めも

つむじまがりといわれます

ディア・ハンター

こないだセイちゃんのお迎えに出ようと靴を履こうとしたら、左足のくすり指をぐねってしまい、ぐねったところに勢いでみごとに全体重+9キロ(フクちゃんを抱えていたので)を負荷し、すっかり挫いてしまった。たかが左足のくすり指と侮るなかれ、足をつくたびに痛みがはしるのでまともに歩くこともならず、よたよたとびっこをひいて無様なことこの上ない。人の夢と書いてはかないなんていうが、人間の体だってよほどはかないと痛感した。くすり指をおろそかにした罰だ。左足のくすり指にこのたびの反省と日頃の感謝を誠意のあらわれる所作にて示そうと土下座をこころみたが、土下座すると左足のくすり指はわたしの尻のしたに隠れ、眼前から姿を消してしまうというジレンマ。なんとも心憎い。こんな心憎いものがわたしの肉体の一部としてあったことを発見したので、きょうは記念日。

産休いりする前に、有給休暇を着々と消化、シネコンにでかけたり、していたが、そのときにこの映画をやっていたんだったが、180分あるのにインターミッションがないというので、頻尿の身には耐えられんと思いよしていた。デ・ニーロの尻や君の瞳に恋してるがきらきらと青春を空費して、若者たちの酔いどればか騒ぎが永遠に続くのかと思うような前半部から一転、穴に落ちてしまったかのように戦争のど真ん中に連れてかれて今度は人間のギリギリの淵をのぞかされる。青春のきらめきが、一挙に彼方へ飛び去ってしまい、遠くなるほどきらめきを増す、そのきらめきの悲しさが氷って胸に刺さる。