セイちゃんは、素肌をじかで触っていると安心して眠れるらしく、寝かしつけのときには、わたしがフクちゃんに乳をくれている背中にピタッとくっついて、二の腕をうしろからつまんで寝ている。ときどきはTシャツをめくりあげて、たるんだ下腹をさすりながら寝ていることもある。セイちゃんの向こうにすこし離れて宿六が寝るのだが、こないだ、セイちゃんが半分寝かけた状態で急にごろごろと宿六のほうに転がっていったのであれれと思っていたら、むこうでブっとおならをして、またごろごろと戻ってきてやっぱり二の腕をつまんで、寝た。だからどうというわけでもないが、でかしたと思ったので記しておく。
ベビーカーが階段を落ちる映画というリク
エストで借りてきてもらった。それ以外にはタイトルも筋書きもキャストもなにも知らんかったが、若い
ケヴィン・コスナーの端正っぷりったらなかった。昔はかっこいいだけの男なんかと思っていたこともあったが、歳くってからは、かっこいいだけの男もいいし、かわいいだけの女もいいと思うようになった。
佐野洋子は生まれ変わったらバカな美人になりたいと言っていたが、わたしはバカでも天才でも凡才でもいい、そこは選り好みしないので、美人に生まれ変わりたいっす。たぶんかわいいねきれいだねといわれて育ったら、こんなややこしいことにはならんかった。
ケヴィン・コスナー演じるネスも、ややこしいところが一切ないキャ
ラクターで、こういうのはイケメンが演じてしかるべきと思う。映画はもちろん面白かったが、DVDからテレビに切り替えたら、なんたるタイミングか
アンタッチャブルの
ザキヤマさんが画面のなかに映っており、サックスで
チャルメラを鳴らしたり、
ムーンウォークをやったり、映画の内容よりも、その直後に見たケツあごのほうを、あの
アゴの割れ目の深さで記憶に刻み込んでしまった。かっこいい男もいいが、おもしろい男はもっといいと思うので、それはそれで構わない。肌がイケメン由来のホルモンでつるつるぴかぴかするのもいいが、笑い皺が増えるのはもっといい。わたしはぺかぺかしたよりは、しわしわで水をよく吸いそうな婆さんになりたい。