まみ めも

つむじまがりといわれます

草枕

草枕 (新潮文庫)

草枕 (新潮文庫)

10月4日がグレン・グールドの30周忌ということで、ラジオからやたらとグールドのピアノが流れた。ミーちゃんハーちゃんで乙女だったこともあったかもしれない中年は、御多分に洩れずグールドが好きということになる。グールドのステップを踏むようなバッハを聴いていると、そのナイーヴな指先はたしかに乙女心のあったあたりを刺激する。とくとく。さよなら幻、踊りだす指先。
グールドは草枕を好んで読んだというウィキペディア情報を首尾よく入手し、本棚から集英社の日本文学全集をひっぱりだす。従姉妹が買った古民家からでてきたのをごっそり譲ってもらった全集は、おそらく一度も読まれていないんだろう、かたい頁を一枚いちまいぺりぺりとめくるとインクのにおいが懐かしい。連休の山中湖行にももってって、みんな寝静まったあとで部屋付きの風呂に湯をためて、久しぶりで風呂読みをやった。主人公の洋画家先生も温泉に泊まっている。あーでもないこーでもないと足踏みのようなゲージュツ論やブンメイ批判をお経のような心地よさで展開するので、ちょっとねむたくなる。このねむたさがいかにも漱石を読んでいる感じをしてときめく。わたしは漱石が好きなんだか、漱石を読んでいるじぶんを好きなんだか、本当はよくわからん。何度かフクちゃんが泣いて裸に宿のパジャマをひっかけて寝床に駆けつけた。

世の中はしつこい、毒々しい、こせこせした、その上ずうずうしい、いやな奴で埋っている。元来何しに世の中へ面を曝しているんだか、解しかねる奴さえいる。しかもそんな面に限って大きいものだ。浮世の風にあたる面積の多いのをもって、さも名誉のごとく心得ている。五年も十年も人の臀に探偵をつけて、人のひる屁の勘定をして、それが人生だと思ってる。そうして人の前へ出て来て、お前は屁をいくつ、ひった、いくつ、ひったと頼みもせぬことを教える。前へ出て言うなら、それも参考にして、やらんでもないが、後ろのほうから、お前は屁をいくつ、ひった、いくつ、ひったと言う。うるさいと言えば猶々言う。と言えばますます言う。分ったと言っても、屁をいくつ、ひった、ひったと言う。そうしてそれが処世の方針だと言う。方針は人々勝手である。ただひったひったと言わずに黙って方針を立てるがいい。人の邪魔になる方針は差し控えるのが礼儀だ。邪魔にならなければ方針が立たぬと言うなら、こっちも屁をひるのをもって、こっちの方針とするばかりだ。そうなったら日本も運の尽きだろう。

屁の勘定ばっかりやっている、しつこい、毒々しい、こせこせした、ずうずうしいいやな奴。ずばりわたしなので、ひれ伏したくなった。どうぞわたしに屁を浴びせてください。漱石先生の屁ならありがたく頂戴しますです。