まみ めも

つむじまがりといわれます

モーターサイクル・ダイアリーズ

いつぞやのテレビでやっとったのを録画。字幕。若きチェ・ゲバラが友人とふたり南米をバイク一台に跨って放浪するロードムービー。旅の途中、出会った夫婦に、あなたはなぜ旅をするのかと問われたチェ・ゲバラが、旅するために旅している、と答える。禅問答のようだが、ロードムービーという筍をむいていったら最後は霞をつかむようなこんな芯が出てくるような気もする。内田百間は、阿房列車で、なんにも用事がないけれど、汽車に乗つて大阪へ行つて来ようと思ふ、とぶらりと旅にでて、帰り道には帰るという目的があるから無粋だというようなことを言っていたし、佐野洋子は、その内田百間を読んで、この世にはなんの用事もないんだというようなことを言っていた。三木清は旅は漂泊だと言っていたっけ。

旅において出会うのは常に自己自身である。自然の中を行く旅においても、我々は絶えず自己自身に出会うのである。旅は人生のほかにあるのではなく、むしろ人生そのものだ。好奇心の根底にあるものも定めなき漂白の感情である。人はそのひとそれぞれの旅をする。旅において真に自由な人は人生において真に自由な人である。人生そのものが実に旅なのである。

三木清の人生論ノートで、いちばん好きなのは、この、旅についてのところ。読んでるとぶっちゃけ眠たくなるんだけど、国際線の飛行機のうえで読んだら、ちょっといいんじゃないかと思う。眠たくなったら眠ればよいだけの話だ。