まみ めも

つむじまがりといわれます

四とそれ以上の国

字の練習は細々と続けているが、漢字に手をだしたころから追いつかなくなって、あまりうまい字が書けない。字には芯みたいなものがあって、要はバランスなのだと思うが、芯をとらえた字を書くというのはなかなか難しい。字の芯をつかまえたら、次は文字列全体の芯をつかまえなければならん。木だけ上手に書いても森は上手に書けなかったりする。そういえば、わたしの知る人で字のうまい人というのは、たいてい運動神経も優れていて、結局は肉体のバランス感覚に尽きるのかもしれず、逆上がりのできないわたしには限界があるような気もする。それでも少しまともな字を書けることがうれしく、実家に帰っているうちは、浦和の宿六に、わざわざ紙に書いた文字をカメラで撮ってメールするというのをやっていた。人前に字を見せるシーンはしばらくないだろうと思っていたら、友人がおとうさんを亡くしていたのを知り、香典袋に名前を書いたが結局まずい字しか書けなかった。うまい字が書けたところで喪失はどうにもならんのだけれど、こんなときにぴんとした字を書けないのはなんとも頼りなく、申し訳ない気分だった。友人は、広い仏間でぽろぽろと涙をこぼし、わたしは数珠をいじりながら、なにもことばが出ない。

四とそれ以上の国

四とそれ以上の国

実家にいるあいだにブックオフオンラインで購入。150円。いしいしんじなのに、舞城王太郎のようであったり、川上弘美のようであったり、いしいしんじのようであったりした。ぶらんこ乗りやトリツカレ男みたいないしいしんじそのものの物語が読みたいのに、鯵を釣ろうと思ったのにマンボウを釣ったみたいな戸惑いを覚えつつマンボウも食べられんことはないのだった。「死んでいる」という表現にちょっとだけ気持ちが楽になる。
四国を舞台にした短編集で、川本三郎が、

個人的には四国を縦断する土讃線阿波池田の駅に汽車が近づく時の車窓の風景にいままででいちばん感動した。

と書いている、阿波池田の駅がでてきてテンションがあがった。いつか土讃線に乗りたい。日曜に乗った東武野田線は、春日部駅を過ぎたところで、住宅地のなかの土手を走り、軒並みのむこうをいく電車がみえ、そのうち立体で交差するのが愉快だった。沿線の桜はちょうど散り際。