まみ めも

つむじまがりといわれます

溶ける街 透ける路

月曜日の夜に、鍋にしこたまカレーをつくって、火曜の夜は飲みに出歩くつもりだったが、こどもらが順々に熱をだし、鍋いっぱいのカレーだけが残ったので、せっせと食べる。カレーのレシピには色々あって、毎度具もレシピもちがうし、どうせレシピ通りにも作らないのだから、おなじカレーが出来上がることはほとんどない。一期一会のカレーライス。いま、気に入っているのは、土井善晴のレシピで、フライパンで肉や野菜を焼きつけてから鍋に放りこんで煮込む、ルウを使わないで小麦粉とカレー粉と塩で味付けをする。このレシピのいいところはふたつあって、ひとつは、お母さんカレーというその名前で、わたしはカレーの鍋を作りながらじぶんの中にお母さんの気分を醸成してよろこんでいる。もうひとつは、小麦粉を使うのでカレーが冷えてくると表面に膜が張って、向田邦子的にはカレーライスではなくライスカレーの状態になる。この安っぽい食堂の感じがノスタルジーをそそる。水上勉もいっていたが、味覚のなかで一番おっきいのは、記憶とのリンクの部分かもしれない。

溶ける街 透ける路

溶ける街 透ける路

川上未映子の世界クッキーで言及のあった本を図書館で借りた。多和田葉子の本をはじめて読んだけれど、一挙に気に入った。かたいようなやわらかいような、ぬくいようなひんやりするような、とにかくきもちがよくて、いつまでも浸りたい。実際に訪れた街についての思い出を淡々としるした内容なのに、漂泊の感じもとどまる感じもあるのは、このひとがずっと動き続けていて、どこへいってもそこに暮らしがあるからなのだとおもう。

二十三年も暮らしたハンブルグに初めて着いた日のことは今でもはっきり覚えている。荷物は木綿のリュックサックとギターだけ。日本を出てインドを一ヶ月かけてまわり、そこからヨーロッパに飛んで、旧ユーゴスラビアやイタリアなどを二ヶ月ほど放浪し、最後にミュンヘンから夜行に乗って、翌朝ハンブルグに着いた。

わたしもいつか放浪するときには、リュックサックとギターだけもっていきたい気がするが、ギターはどういうわけか禁じられた遊びしか弾けないので、どこにいってもマイナー調にならざるを得ない。