まみ めも

つむじまがりといわれます

現代日本ユーモア文学1

こないだ、休みをとった夕方に、家で洗濯をとりこんで、そろそろ保育園のお迎えに行こうかというところで宿六から連絡がはいり、駅前で落ちあうことにした。それで、ふだんは通らない公園を通って、駅前まで歩いていくのに、小沢健二を聞いていたら、クリスマスムードも手伝ってやたら浮かれた気分になるのだったが、LIFEのオザケンの年齢も軽々と跳び越えて、もはやおばさんだかおっさんだか分からないような代物のわたしが、二十年後に聴いてもなおときめきを覚えるというこの感じは、我ながら整理のつかない気持ちで、この気持ちは一生整理できないままであって欲しいなと思う。

ふてくされてばかりの10代をすぎ 分別もついて歳をとり
夢から夢といつも醒めぬまま 僕らは未来の世界へ駆けてく

銀杏の葉っぱを踏みながら駅前につき、改札で落ちあった宿六とコーヒーショップに入り、もうコーヒーは三杯のんでいていらん気分だったので、あつあつのチャイをおごってもらった。

書国探険記でなんと書かれていたか、もはや思い出せないが、読みたくなってメモしてあったのを図書館で予約。
白毛」「夜ふけと梅の花井伏鱒二
「ちっぽけな象がやってきた」「酒肆長谷川壁上の戯画に寄す」「橋の袂の――」 三好達治
「悩ましき土地」「皿の苺」 吉行淳之介
「刀をぬいて」 岡本一平
「喧嘩早雲」 司馬遼太郎
「閣下」「小問題大問題」 佐々木邦
「リバーマン帰る」 田村隆一
「ミルク色のオレンジ」 池田満寿夫
「教授と娼婦」 田中小実昌
「特別阿房列車」 内田百けん
付録の冊子がついていて、開高健吉行淳之介丸谷才一が対談している。文壇三大音声(声がでかい)というのがあって、開高健丸谷才一井上光晴なのだが、そのうちのふたりが揃っているものだから、なんとなくナイーブな印象の吉行淳之介が耳を痛くしたのではないかといらん心配をしてしまう。でも、吉行淳之介もちゃんと喋っている、さすが対談の名手、よかった。特別阿房列車は、何度読んでも好きすぎて、本の目次をひらいたときから、特別阿房列車を読むのが楽しみでしかたない。読み始めたら、いいなあ、いいなあって、もう、淀川長治状態で、そして読み進むのがもったいないような、なにも減りはしないのに、惜しむように頁をめくる。オザケンでもないが、ちょっとこの好きという気持ちも整理できる気がしない。