まみ めも

つむじまがりといわれます

私の好きなお国ことば

実家の猫が年明けに死んだ。どこかの軒先でうち捨てられたように薄汚くなっていた毛の塊を、母親がつれ帰ってきて、からまる毛を剃り、洗ったら、白いチンチラだった。いつもおなかがゆるく、くるくると喉を鳴らすような鳴き方をして、撫でられるくせに抱かれるのはいやがり、つかず離れずで甘える猫だった。もともと鈍重な猫だったが、年明けに階段を踏みはずしたり、いつも寝ていたソファにあがれなくなり、意を決したように固形物も水もとらなくなり、そのままあっさりいってしまった。もううちに来て十三年だったらしい。往生したのだと思う。

私の好きなお国ことば

私の好きなお国ことば

池内紀検索の中から軽そうな本を図書館で予約。全国四十七都道府県のひとが、地元のお国ことばについて語る本。お国ことばは、口から発したその音も含めてお国ことばなので、活字にするとお国ことばでなくなるというのはまさしくで、だからこそお国ことばはどんどんうしなわれていくし、わたしのなかからも随分なくなってしまった。ことばはなまものだなあと思う。そして、わたしもノスタルジーというのを覚えてしまった。めずらしく雲の多い冬の日、シガーロスをきくと、なんだか石川のどんよりした田んぼ道にたたずんでいる自分に戻っていくみたいでたまらない。あの暗く陰鬱な冬も悪くないというか、性に合うというか、骨の髄までしみついてしまっているのかもしれず、すこし陰鬱な日があると、実は内心でほっとする。