まみ めも

つむじまがりといわれます

鎌倉で肉に魚にアルコールと、豪奢な食生活をしていたら、しっかり正月肥りしてしまい、ふだん食べつけぬ動物性の脂のせいか、胃がいつまでたってもすっきりしない。しばらくブラックのコーヒーを控えることにして、食べ過ぎをしないように、気をつけていたら、あっさり胃の腑の調子は回復したが、増えてしまった脂肪はあっさりとはいかず、上乗せされたままなんとなく身体が窮屈でいけない。会社のひとが貸してくれたダイエット本をみたら、蒟蒻を趣向をこらして食べていたり、フラフープをまわしているが、味気ないのもつまらない気がして、結局なにも手つかずのまま、この窮屈をなんとかしたいなあと思いながら、ビールを飲み、アイスクリームを舐めているので、このまま窮屈さに慣れてしまうのが先かもしれない。

(056)祈 (百年文庫)

(056)祈 (百年文庫)

2013年から2014年の年越しは百年文庫だった。久生十蘭で図書館の蔵書検索をして、チャペックの名前もあったので迷わず予約。

盟友の娘の婚礼に出席した池田は、人生の花盛りを知らずに夭折した姪・柚子を思うと無念でならない。しかし、生前の柚子には叔父に隠し通したある秘密があった(久生十蘭『春雪』)。辛く惨めなお屋敷勤めを「明日こそ!」飛び出してやろう、と夢見る住み込みの家庭教師オルガ(チャペック『城の人々』)。医学士ソロドフニコフは、突如、見習士官ゴロロボフに科学的には解決できない難問を投げかけられる。二人の議論から導かれた究極の答えとは(アルツィバーシェフ『死』)。手の届かぬ場所へ、願いを捧げ続ける人々の物語。

祈りとは神様とのディスコミュニケーションなのだった、そうだった。やるせないのが約束された物語群。どれも割り切れない澱を残して、でもどこかしら爽やかなのは、祈る人々がコミュニケーションをなげうって、一方的であることに甘んじて、それでも諦めてはいないからだろう。神様というのは、これだけの成就しない思いを一身に集めて、このエネルギーをどうするつもりなのだろう。