まみ めも

つむじまがりといわれます

ムーラン・ルージュ

送別会の日は、仕事をいつもの時間にあがったので、二時間ほどひまができた。ぶらぶらとデパートをみる。絶望的に似合う服がなく、このごろは、試着をしても鏡にうつる自分にウンザリして洋服がなかなか買えないでいる。いよいよ痩せなければとおもうが、病気で代謝がおちているという甘えもあって、お酒も飲みたいし、アイスクリームだって、チョコレートもやめられない、そんなで痩せるわけがない。とはいえ気に入ったものを身につけて気分よく暮らしたい。おしゃれはしたくないし、できれば誰の目にも留まらぬような地味さで、それでも納得できる服を五つ六つそろえて、ハンガーに吊るしてならべて、月火水木金と順ぐりに着ていくというのが理想。七着でもいいが、毎週月曜におなじ服というのはおもしろくないので、やっぱり五か六だろうと思う。できればコーディネートというのはしたくないのでワンピースがいい。それを十年でも二十年でも続けられたら、最高だなあと思って、思い切って高いお店にはいる。このお店なら気に入るものがあることはわかっていた。気に入ったネイビーのワンピースにリネンのカーディガンを買った。思い切った買い物にどきどきし、でもうれしくってスキップしたい気分。久しぶりにいい買い物をしたという気がする。

図書館で予約。ニコール・キッドマンが白くつるつるすべすべの完璧なうつくしさを放散しているので、やかましい展開でも魅せてくれる。とにかくニコール・キッドマンを讃えるための映画ではないか。いいなあ、こんな容器にはいったら、どんな気分がするだろう。鏡をのぞくのもたのしいだろうな。ユアン・マクレガーの歌がちょっとへたくそでうれしい。モンマルトルにいったとき、サクレ・クール寺院のまえをぶらぶらと、何するでもなくくたくたのスーツでいったりきたりしているおじさんがいて、「哲学さん」と名付けて眺めたのを思い出す。あんなふうにぼんやり時間がすぎる旅をまたいつかふたりでやりたいなあ。