まみ めも

つむじまがりといわれます

インドで考えたこと

土曜の朝、七時半に起きて、セイちゃんに四歳のおめでとうをベッドでいうと、ありがとうと抱きついてきた。どういたしましてと返す。朝ごはんと荷造りをすませて庭にでて、ミニトマトの種を撒く。セイちゃんは、とにかくだんごむしが好きで、じょうろに一心にあつめており、さいごは何十匹か知らないが、じょうろを逆さまにして土に戻すときに甲殻の擦れ合う独特の気配におぞおぞした。タイムにみどり色の小虫がぶんぶん群がってうっとおしいことこの上ないので、根っこから引き抜いてしまう。かぼちゃもまた間引きした。それから駅にでたが、フクちゃんの機嫌をそこねてしまったせいで、駅まで旅の荷物とフクちゃんを抱えていくことになり、汗だくになった。新幹線の駅でお土産とパンとジュースを買う。新幹線のなかで、すし太郎でつくったおいなりさんとパンでお昼。はくたかが強風でゆっくり運転になり、一時間送れで到着。駅で母親と落ち合い、トイザらスで誕生日プレゼントを買い、ケーキ屋で誕生日ケーキを受け取って帰宅。さっそくおもちゃをひろげ(セイちゃんは北陸新幹線プラレールセットとウルトラマンと怪獣のソフビフィギュア、フクちゃんはトミカの救急車と消防車と郵便車)、お風呂のあとにごはんとアンパンマンのケーキ。水のはいりはじめた田んぼとカエルの合唱が目と耳に心地よい。

インドで考えたこと (岩波新書)

インドで考えたこと (岩波新書)

「シブイ」で開高健が北海道の公営の農場かなんかにふと立ち寄り、馬の種付けやらを見せてもらう話があり、そこの人がたまたま「わたしは開高健堀田善衛しか読まない」という人で、実際本棚を見せてもらったらやっぱり開高健堀田善衛しかなかったらしい。開高健と二択になる堀田善衛という人が気になって、図書館で検索しタイトルで選んで予約。本人によると「行儀のわるい一小説家とインド・日本・アジア、相対しての小さな対話の記としてでも読んでいただければ仕合せである。行儀のわるい思想旅行、思考旅行、抽象旅行の記であるかもしれない」とのこと。わたしはインドにいったことないが、人がインドにいった話は妙に好きで、横尾忠則だとか、あとは大学のときに、となりのクラスの名前も知らん男の子が、インドで映画館にいって映画をみた話をきかせてくれたことがあって、インドの人はみんな同じ映画をなんべんでも繰り返してみるので、歌や台詞やなにもかも覚えていて、いいシーンになると、立ち上がって台詞を絶叫し踊り出すというやつ。堀田善衛はというと、

要するに「永遠」なんだ、これはまったく始末におえんわい。

こんなにも複雑で、こんなにも全アジアがいりまじっていて、従って、瞬間瞬間に、いわば全存在と全歴史を思わせ考えさせられるような工合(中略)そこに宗教がある、という、おっかない現実

といっていて、こういうのを読むにつけ、インドにいく話はやっぱりいいなあと思う。