まみ めも

つむじまがりといわれます

やわらかな生命

金曜の夜の便で実家から荷物がとどく。鈴虫のかごに入れる炭をお願いしたら、一緒にあれやこれや送ってくれた。広見のうどん、とうもろこし、ピーマン、茄子、人参、梨、さつまいものおかき、豆パンふたつ、フランスパン、ミニクロワッサン。炭は蓮とまつぼっくりで作ってあった。梨をシャクっといったときの感触で、ふいに実家の台所の床のつめたさがよみがえる。秋だなあ。鈴虫のかごに人参と茄子とかぼちゃ、梨、ピーマンを、楊枝にさしていれてやったら、かぼちゃと茄子と梨にはかじりついていたが、人参とピーマンはお気に召さないらしい。宿六が、人参をやるといい音を出すようになるというが、りんごでもいい音をだすらしい。一体どういうわけなのかさっぱりわからない。

やわらかな生命

やわらかな生命

鎌倉の山の家の本棚から借りてきた本。くいだおれ人形に似たセンセイが一人称「福岡ハカセ」で綴るエッセイ。村上春樹の小説について書いている文章がいちいち的を射ている。

文章は平明で常にリーダブル。描写は正確でクリア。にもかかわらず物語の中に展開するエピソードの意味は宙吊りにされたまま、最後まで明らかにならない。何かそこに重要な意味があるのに、謎は開かれたまま残る。

平明さと正確さ、開かれた謎、そのすべてが面白さと裏腹になんとなくいけすかない感じにつながるので、もうわたしには村上春樹を読む才能がないのだと思う。苛立ちもエンターテイメントだと思えなくもないが、いらいらすると疲れるので、村上春樹は心に余裕のあるときでないと読めないことになっている。