まみ めも

つむじまがりといわれます

小村雪岱

週末から鼻水と咳がでていたセイちゃんが、月曜の夜になってふとんで熱くなっていたので体温計ではかったら37.6度あった。朝は37.2度まで下がっていたが、咳をごほごほしているので休みをとった。雨が降ったりやんだりする中を、傘をさしてセイちゃんと手をつなぎてくてく病院にいく。かぜ薬をだしてもらい、帰りにコンビニに寄ってあんパンとクリームパン、ちいさいのが四個ずつ入ったのを買う。お昼は袋ラーメンがいいというので、チャーシューと卵で作ってふたりで一人前をわけた。セイちゃんが2/3ほど食べたけれど、足りないといって、小さなおむすびをつくったら2個半たべた。佃煮のおむすびに、海苔をはりつけただけだが、おいしかったらしい。粉薬を水でといて飲ませたら眠気がきたらしく、よくねむった。4時過ぎ、フクちゃんのお迎えにいき、夕飯は豚肉の味噌漬けを焼いて、さつまいものサラダ、焼きとうもろこし、野菜のスープ、なすの煮たの。夕方からまた熱があがってきたので、夕飯のあとでレンジでチンした蒸しタオルで身体を拭いた。フクちゃんとわたしがお風呂にはいっているうちは、なんとなく不安なのだろう、風呂場のみえるドアのそばでパズルをつくっていた。夜は熱も咳も前夜よりはおさまって、翌朝は咳を残しつつも保育園にいけたのでよかった。一歳のときのセイちゃんの一年を思い出すと、ずいぶん強くなったと思うが、それでも具合のよくないこどもを見ているとたまらない気持ちで、なんでもしてやりたい気がする。

小村雪岱

小村雪岱

美術館の常設展で小村雪岱のコーナーがあるというので、出かけてみない先にめずらしくその人となりを知りたくなり、図書館で検索したら星川清司というひとの本が出てきた。内容はわからないまま予約をいれる。雪岱の絵は美術館でずらずら並んだなかの一角で一度みたきりだけれど、とてもよかった。

此書は雪岱伝でもないし、雪岱評伝でもない。雪岱と、雪岱をめぐる人びとと、そうしたらひとたちが生きていた時代の相のはかなさを垣間見ようとした書である。

星川清司というひとは、脚本や小説をやった人のようだが、好きなものについて書いている文章のもつ無敵さが溢れている。雪岱の描く世界に似た凛とした余白のように決して馴れてこない淡々とした調子で、でも、その中に雪岱に対するおもいが溢れているのが否応なしで伝わってくる。雪岱の絵も何点か掲載されている。
「泉先生のおかげで、美しい時代を一しょに生きられて、美しいものをずっと見つづけてこられて幸せだった」
雪岱の絵を通じて、美しい時代の美しいものをおすそ分けしてもらう。