まみ めも

つむじまがりといわれます

私の息子はサルだった

ふと思い立って浦和のデパートにいく。半径2キロメートル内の閉じた生活をしているので、久しぶりに街に出た感じがする。目当ての店で小花柄のジャケットを試着して、地下の食品売り場でクロワッサンをいくつか眺めてから、なにを買うでもなく帰ってきた。石井好子だったと思うが、クロワッサンというからには三日月パンでなければいけないと主張していて、それ以来三日月パンのクロワッサンを探すのだけれど、なかなか三日月形のものが見つからないでいる。あったかいカフェオレをいれて、三日月パンをぱくつきたい。

私の息子はサルだった

私の息子はサルだった

ト本。

私は疑いもなく子供を愛しているが、その愛が充分で、適切であるかどうか、うろたえる-。「100万回生きたねこ」の著者が自らの子供を見つめて描く心あたたまる物語エッセイ。没後新発見、未発表作品を書籍化。

サル息子の広瀬弦さんが、表紙のねずみの絵とあとがきを描いている。あとがきによると、この身辺雑記には嘘とおおげさが散りばめられているらしい。そして、知らないおばさんが、僕の知らない僕と勝手に親戚みたいになっていくのが怖かったという。広瀬弦もそうだし、庄野潤三作品に出てくる人たちも、勝手に身内みたいに思ってたので、どきっとした。年齢は上だけど、ケンちゃんの近所のおばちゃんみたいな気持ちになっとった。ケンちゃんごめんごめん、と、思うときにやっぱり近所のおばちゃんみたい。本当にごめん。