まみ めも

つむじまがりといわれます

死んでいない者

水曜は午後休をとった。途中の駅でおりてUの店へいくけれども、モンブランはなかった。この冬はもう出ないのかもしれない。なにをするあてもなかったので、ふと思いついて床屋へいく。フクちゃんが仲良くしているお友達のご家族がやっている床屋で、こどもたちは前を通りかかるとのぞき込んで声をかけたりしている。セイちゃんとフクちゃんの床屋デビューはこの店だった。店に入ったときはおばあちゃんがひとりでカットをしていて、電話でおとうさんを呼び、おとうさんと代わってカットをしてくれた。みじかくお願いしますとだけ伝えて、あとはおまかせにする。途中からおかあさんがおりてきて、そばに立って話し相手になってくれた。時間が迫っていたが、顔そりもやってもらった。かみそりが首すじにあたるとき、志賀直哉の剃刀を思い出してしまう。おかあさん、風邪の気配はない。血を見ることなくこざっぱりして店を出た。床屋のあと、空気の肌ざわりがちがう。

死んでいない者

死んでいない者

鎌倉からお持ち帰りした義父本。2015年下半期の芥川賞受賞作につき周回遅れ。

秋のある日、大往生を遂げた男の通夜に親類たちが集った。一人ひとりが死に思いをはせ、互いを思い、家族の記憶が広がって…。生の断片が重なり合い、永遠の時間が立ち上がる奇跡の一夜を描く。『文學界』掲載を単行本化。

猪熊弦一郎の表紙よりは少ないけれども4世代30人の出入りがあるので早々と人物相関はあきらめた。神の視点でも誰のものでもない視座から遠くへ近くへ揺らぎながらふわふわと全体が見えるようで把握しきれない。酔っぱらってお湯の中でねむたくなるような淡い気分にひたった。