まみ めも

つむじまがりといわれます

ほろよい読書

夏休みに実家から車で持ち帰ったまるのままの冬瓜を切って、下茹でして、煮た。冬瓜の皮はまわりに薄っすらとしたとげをまとっていて、むいているときに力の加減が狂って親指をざっくり切ってしまう。しばらく眺めているとじわじわと血が滲み、冬瓜の白を朱色に染めた。皮とワタを取るとあっけないほど小さくなり、煮たあとは透き通った淡い色に染まる。冷蔵庫で冷たくしたのを口に入れるときんと歯にしみるくせに舌でつぶせるほどにやわらかくて溶けるようにして喉に流れていく。実体と概念のあわいのような食べ物だと思う。八百屋に並ぶ冬瓜は存在感に迫力があり手を出せなかったけれど、怖くないことがわかったのでこれから毎年煮たい。

ト。

ショコラと秘密は彼女に香る 織守 きょうや

初恋ソーダ 坂井 希久子

醸造学科の宇一くん 額賀 澪

定食屋「雑」 原田 ひ香

barきりんぐみ 柚木 麻子

いつも加減がわからずビールをぐびっといってしまうので、二段とばしの酔いになってほろよいのフェーズはほとんど存在しない。ちいさなグラスに瓶ビールを傾けるような飲み方に憧れながら、迷わずに生ビール(大)を注文している。そのうち落ち着いて階段をのぼり、ほろよいの段で立ち止まってみたい。

ざんねんな食べ物事典

14年ぶりの出張で中伊豆に前泊。生ビールを二杯流し込んでたどり着いた宿はせんべい布団に鏡の曇った鏡台がおいてあるディープな雰囲気をまとった部屋で、自販機で買った氷結レモンがぬるかった。源泉かけ流しのお湯に浸かろうと風呂場にいったら、脱衣場に宿のおばちゃんの荷物がまとめてあり、ポリデントがおいてあった。ビオレとパンテーンポリデントの宿。お湯はとにかく熱くて、蛇口の水でうめて浸かった。タオルからは過剰なまでの柔軟剤のにおいがした。

朝は四時すぎに目が覚めてしまい、朝風呂をきめて早々に宿を出、駅前の足湯に足を浸しながら東京駅で買ったおしゃれなパンと甘い缶コーヒーを飲んだ。赤くなった足でぶらぶらと半時間歩いて、タクシーに乗り、研修を済ませて、帰った。

ト。

「胸元に手をかけ、はだける。こんな無体をされた実直なトウモロコシの残念感に気づいていますか。スルメもまた残念の極み。ぷっくり生きてきたイカを何もあそこまでペタンコにしなくてもー食べ物に漂う“ざんねん”を検証した表題作から誰も気づかない「ラーメン行動学」まで。爆笑必至のエッセイ集。

ラーメン行動学/歯はこう磨けば出世できる/何でも面白がってやろう/「痒い!」の研究/残念な人たち/懐かしや「死んだはずだよお富さん」/対談 東海林さだお×村瀬秀信(ライター、コラムニスト) 奥が深い!我らの“チェーン店”道/風景に油断してはいけない/ヘビは長過ぎる?/ざんねんな食べ物事典/呑み潰れツアーで呑み潰れる人々/老人とおでん/面白いぞ、業界新聞/「山田太郎」を糾弾する/月刊文藝春秋特別寄稿 僕とインスタントラーメンの六〇年

ザ・ノンフィクションに出てきたマキさんの歯磨きがすごかったことを思い出す。なんかかなわない感じのする磨き方だった。

いつものショージ節の中に「人間は澄んだ瞳で嘘をつくことができる」というドキッとする一文もあり、緩急ついててたまらない。

 

愛蔵版 お楽しみはこれからだ

会社の夏休みは三泊四日で実家に帰省。千里浜で遊び、お父さんのおすすめだった揚げたまご丼を食べて内灘の公園で遊んだ。三日目の朝、早起きをして犬の散歩につきあい、やっとお父さんのお墓参りができた。墓の土台のところは手前に開く仕様になっていて、そこをのぞくと骨壺に「滋」と名前が見えた。お母さんがマッキーで書いた滋の字。川は大水の名残りでいつもより水嵩が多く濁っていた。家にいる犬は、愛嬌があるけれど臆病で神経質なところがあるのであんまり撫でられなくてもどかしい。

ト。

イラストレーター・エッセイストなどとして活躍した和田誠の代表作である映画エッセイの名著の愛蔵版。記憶に残る<映画の名セリフ>をイラストレーションとともに紹介する。村上春樹の書き下ろしエッセイを掲載した栞を付す。

安西水丸展にもいきたかったし、和田誠展にもいきたかった。ところどころにレミさんを思わせることがさらっと書いてあって、その感じがすごく心地よく、いい夫婦だなあと思う。

自転しながら公転する

家族で予定が絶妙にずれている夏休み。前半は有給休暇を使って二泊三日で渋川温泉。げんちゃんははじめての家族旅行。宿の温泉に七回浸かった。渋川スカイランドパーク、群馬サファリパーク伊香保グリーン牧場、ロープウェイ、石段街、カラオケや卓球。遊園地のゴーカートで久しぶりに運転をした。いくつになってもアクセルをふかせない。ぐんまちゃんがどんどんかわいくなる。

ト。

東京で働いていた32歳の都は、親の看病のために実家に戻り、近所のモールで働き始めるが…。結婚、仕事、親の介護、ぐるぐる思い惑いながら幸せを求める姿を描く。『小説新潮』掲載に書き下ろしを加えて単行本化。

自転しながら公転するというような思い惑うことがあまりになく「夏草が流れてく」で生きてきたようなところがある。夏になると夏草が流れてくの部分だけが毎年リフレインされるけれど、その他の歌詞はまったく知らない。

羆嵐

水害のニュースでよく知る風景が様変わりしてうつっていた。お母さんは、仕事に出ている山のほうで身動きがとれなくなり一時避難所に行っていたけれど、無事に帰宅し、家は大丈夫だった。いろんなふるい友人の顔が浮かぶ。みんな無事でいてほしいけれど確かめる手立てがない。

旅行や帰省を間近にひかえた今になってげんちゃんが高熱をだし、小児科にいく。抗原検査は陰性で、夏風邪とのこと。どこにもいけない夏になっても仕方ないとどこかで諦めている。百日紅が花を次々に落としながらいつまでも咲いていて、だけど夏には必ず終わりがある。

古本いちで110円。吉村昭をみると買ってしまう。

北海道天塩山麓の開拓村を突然恐怖の渦に巻込んだ一頭の羆の出現!日本獣害史上最大の惨事は大正4年12月に起った。冬眠の時期を逸した羆が、わずか2日間に6人の男女を殺害したのである。鮮血に染まる雪、羆を潜める闇、人骨を齧る不気味な音…。自然の猛威の前で、なす術のない人間たちと、ただ一人沈着に羆と対決する老練な猟師の姿を浮彫りにする、ドキュメンタリー長編。

三毛別羆事件のことはWikipediaで知っていたけれど、さすがは吉村昭で、ぐいぐい読ませる。やっぱり酷暑に吉村昭はすごく合う。だらだら汗を流しながら陰惨な物語を味わうとき、のめりこむ自分を眺めている客体がふと浮かび上がる。

今、何してる?

おつかいから自転車で帰ったら、黒い青いものが視界にひらめいて、庭の奥にいってしまう。あとを追ったら蜻蛉のようでもあり蝶々のようでもある。しらべたらハグロトンボというらしい。暑さでぼんやりしていたこともあって夢の中のできごとみたいだった。カメラを向ける前にどこかへとんでってしまった。

別の日に、赤とんぼをみた。関東で赤とんぼをみるのははじめてで、いなかで見るものより朱色が強い。いなかで見ていたのはアキアカネ、朱色が強いのはナツアカネというらしい。赤とんぼ、お父さんとすれ違ったような懐かしさがある。

こんなに暑いけれど夏は終わりの予感をいつも用意している。

古本いちの110円ワゴンでみつけた角田光代

『月刊アサヒグラフ パーソン』連載の恋愛論、『朝日新聞』連載の「本と一緒に歩くのだ」などのほか書き下ろしも含む、「ごくふつうに過ぎていく日々」を綴った最新エッセー集。

カバー写真は佐内正史恋愛論だなんて、と思いながら。

大衆食堂へ行こう

夏休みの幕開け前夜にげんちゃんが熱を出してそのまま三日三晩の高熱。近くのかかりつけのクリニックにいく。待ち合い室はすいているけれど、別室のCOVID19外来が順番待ちになっているらしい。近くの病院が断る発熱患者が全部流れてくると先生がぼやいていた。げんちゃんの熱は抗原検査も陰性で、夏風邪か突発性発疹かもしれないとのことだった。熱の下がった夜の夜泣きと、おなかに湿疹がまだらに出たので突発性発疹だったのだと思う。月のものでだるくてソファで昼寝していると、窓の外に百日紅の花が落ちるのが視界のすみに入る。庭の百日紅は鮮やかな桃紅色で、窓の外のうだる暑さのなかに音もなく落ちていくのがこの世のものではないみたい。いまかいまかと見つめているときには落ちない。

ト。

ときわ食堂」のアジフライ定食、「キッチンめとろ」のカレーライス、「せきざわ食堂」のサンマ焼き定食…。町民のいのちと健康を支えてきた大衆食堂。しっかり御飯を食べて「ああ、しあわせ。元気出すぞ」。ほのぼのイラストとしみじみ紀行文で「大衆食堂の良心」を活写!築地から西荻窪まで55の町を食べ歩く決定版。

「大衆食堂へ行こう」は安西水丸朝日文庫、「大衆食堂に行こう」は東海林さだおでだいわ文庫。だいすきなふたりが大衆食堂の本を出していて舞い上がる気持ちになる。インディアンライスと玉子ライスとチキンライスのイラストがたまらない。水丸先生の食べたカレーを味わいたくなった。そして、カレーライスはあまり陽のあたっているところで食べないほうがいいなと思ってみたい。