まみ めも

つむじまがりといわれます

もうひとつの「変身ものがたり」

漱石夢十夜の「今に重くなるよ」は六つの小僧のせりふで、おぶっている我が子が、かつて自分が殺した盲目であったという夢の話。おぶっている子どもが実は自分の業であったというくだりは、何度読んでもおそろしい。わたしが抱いていた母親になることへの不安というのは、どこかしら「今に重くなるよ」に通じるところが、あるようなないような。わたしがこれまでにしたイケナイ事の罰がこの子にあたったらどうしよう。大それた悪いことはしていないけれど、こまごまと悪いことは、けっこうやってしまった。この子に罰が当たるぐらいなら、わたしに罰が当たりますように、でもでもでも、願わくばわたしにも罰があたりませんように。これからは良い人になるように努めます。なんまんだぶ。と殊勝なことを思う。わたしの業を背負っているんだかどうだか、晴三はよく泣く。母親が、あんたも小さいときはメエメエメエメエ泣いとったわ、という。たしかに、小学生ぐらいのころは、いつも帰り道に転んで泣きながら帰ったっけ、あとは、帰り道といえば、家までのあと50メートルをどうしても我慢できなくて、たけちゃんの家の隣の草むらでオシッコをしていたなあ(こまごまとやった悪いことのひとつ。ああ懺悔)。泣き虫回帰なのか、母親と、わたしや兄妹の小さかったころの話をしていると、少したまらない気持ちに襲われる。あかちゃんはというと、「今に」ではなくみるみる重くなる。オッパイを飲むあかちゃんの体重増加は、20〜30グラム・パー・デイがめやすらしいが、一か月健診で5060グラムあった晴三は、77グラム・パー・デイで体重が増えており、小児科の先生をそれはそれはびびらせた。いまは6000グラム以上あるだろう。オッパイで育つからなのか、肌のむこうは液体を湛えたようにとりとめなく柔らかにしかし充実して、針で刺すとぷちんと弾けそうな具合。添い寝しているときに耳を澄ませると、おなかの中をオッパイが流れる音がこぽりこぽりシューと聞こえる。喉(から聞こえるのだと思う)はときどききゅるきゅると不思議な音をたてる。あんまり急いで大きくならないで、ゆっくりゆっくり大人になってくれればよいと、思っているけれども、あと二十年もしたら、早く大人になりなさい、なんて、いっちゃうんだろうかとも思う。