まみ めも

つむじまがりといわれます

罪と罰

今年は家族の休みが合わないで、夏休みをばらばらに過ごすことになった。今朝、宿氏とセイちゃんとフクちゃんは下田へいった。ゆうべはフーちゃんの夜泣きがすごかったので、夜中の3時にどうにもならずおぶったままおにぎりを作って、新幹線のお供にもたせてやった。3時間と寝られないで太陽に照りつけられ、仕事も行き詰まって、お昼を食べていたら口内炎を思いっきり噛んでしまい、どうにもやりきれない気持ちになり、帰りの乗り換え駅でバターをたっぷり使った甘いパンをふたつ買った。フーちゃんが寝たあとでお風呂にゆっくりつかって久しぶりにCDをきく。

罪と罰〈上〉 (新潮文庫)

罪と罰〈上〉 (新潮文庫)

罪と罰〈下〉 (新潮文庫)

罪と罰〈下〉 (新潮文庫)

家の本棚から新潮社世界文学全集「罪と罰」工藤精一郎訳を引っ張り出してきてかばんにいれる。夏はなんとなく重量感のある本を読みたい。

鋭敏な頭脳をもつ貧しい大学生ラスコーリニコフは、一つの微細な罪悪は百の善行に償われるという理論のもとに、強欲非道な高利貸の老婆を殺害し、その財産を有効に転用しようと企てるが、偶然その場に来合せたその妹まで殺してしまう。この予期しなかった第二の殺人が、ラスコーリニコフの心に重くのしかかり、彼は罪の意識におびえるみじめな自分を発見しなければならなかった。
不安と恐怖に駆られ、良心の呵責に耐えきれぬラスコーリニコフは、偶然知り合った娼婦ソーニャの自己犠牲に徹した生き方に打たれ、ついに自らを法の手にゆだねる。――ロシヤ思想史にインテリゲンチャの出現が特筆された1860年代、急激な価値転換が行われる中での青年層の思想の昏迷を予言し、強烈な人間回復への願望を訴えたヒューマニズムの書として不滅の価値に輝く作品である。

「『罪と罰』を読まない」を読んでからの「罪と罰」だったのでそれほどの苦もなく読めてしまった。殺意とか愛とか信仰とか、人間のお気持ちの手に負えなさがてんこ盛り。ロシア人がドイツ人をソーセージ売りめと罵倒しているところでひっそり笑った。