まみ めも

つむじまがりといわれます

僥倖

ところで、昨日は浦和のユザワヤへ行った。たどり着いたユザワヤは、入り口が封鎖、ユザワヤは移転しますと張り紙があり、落ち葉やチラシが風に舞い、いかにも祭りのあとの雰囲気を漂わせており、しばし張り紙の前で呆然としたけれども、気を取り直して本屋にいこうと通りに出た。玉蔵院の角のところで知った顔に出くわしたもので挨拶しようと閃いたのだが、一瞬のちに、知り合いではなくサッカー日本代表の長友であることに気づき、その隣に香川、うしろに森本が歩いていた。ぽかんとして驚いたまますれ違ったところで、角からサラリーマンが飛び出し、香川に握手を求め、背中をポンとたたいて風のように走り去った。そこで、わたしも握手をといまさら思ったのだが、通り過ぎたあとであり、こちらはベビーカーの中に赤子が寝ているわけで、あきらめてしまった、が、あとからあとから後悔が沸き起こり、興奮と後悔とのうちに、いつのまにやら家に帰りついてしまい、本屋にいくことも忘れてしまっていた。
わたしは運動神経がおそろしく悪く、分娩のときもいきみかたがよくわからなかった。ウンチをする感じでといわれたが、わたしがウンチをする調子で力を入れたらば違うといわれてしまい、ちょっと焦った。実際にウンチが出たような気もして、恥ずかしながら助産師さんに訊こうかとも思ったが、ナントナクそれを言い出すと力が抜けてしまいそうなので、いえなかった。分娩というのは、終わったあとでも自分ではなにが起こっているのかサッパリわからず、一種のファンタジーだなと思う。それはともかく、わたしのいきみかたがイマイチだったもので、頭がでかかったところで一旦引っ込んでしまい、生まれた赤子は、子宮の入り口で締め付けられたと思われる跡を、額にしっかりと残していた。分娩というのはおそらく逆上がりなんかと似たような具合で、コツをつかめばすんなりいくのだろうと思うが、逆上がりも人生で二度ほどしか成功していないわたしが分娩のコツをつかむためには、いったい何人うめばよいのやら。
運動神経がイマイチなものだから、スポーツのことも、よくわからない。わからないなりに、一流のスポーツ選手は尊敬する。それというのは、昔、東京国際女子マラソンをやっていたときに、法政大学の学園祭にでかけようと通りに出たら、水道橋の駅のところ、高橋尚子がスパートをかけて独走態勢になった、ちょうどそこに居合わせたのだけれども、その高橋尚子が、まったく信じられないスピードで、カーブのところでは体をおそろしく斜めに倒し、颯爽ということばでは表しきれない異様な速さで通り過ぎた。テレビで見ていても速いもんだなあと感心していたが、実際の速さというのは、尋常ではない。それを見て以来、一流のスポーツ選手というのは、ものすごいのだとわかり、手放しで尊敬することにした。なかでもサッカーは筈氏の影響もあり、よくテレビで観戦する。長友のスタミナはすごいし、香川と森本はなんかやってくれそうだというぐらいにしかわからない。わからないけれども、昨日すれ違った三人は、体だって特別大きいわけでもなく、いまだ若く、知らなかったら普通の体育大学の学生さんに見えるような風情。この一見したところなんてことない若者が、日本中を熱狂させるサッカーをしてるんだなあと思うと、どうにもときめいてしまう。日本代表って、文字通り日本を代表しちゃってるわけで、それって、すごい。なかでも今をときめく三人。昨日はそんなものすごい人に一挙に三人もでくわしたわけで、思い出しただけで胸がわくわくする。
あしたの試合は断然、応援するしかない。