まみ めも

つむじまがりといわれます

1Q84 BOOK2

1Q84 BOOK 2
二冊目にして愈々苛々が沸々と。例えば、主人公の青豆が胸が大きかったらいいのにというようなことをこれまで七万二千回考えて、今ので七万二千一回目だというようなくだりで、よせばいいのに、七万二千回がどれほどのものかということに思いを巡らしてしまい、かなりな回数であることがわかるのだけれども、それをこうまわりくどく表現されることがわたしには不快であるらしい。畜生と思いつつ計算してしまう自分にも苛々してしまう。さらに七万二千一回目なんていわれると苛々に追い討ちがかかる。とりあえず、BOOK3はしばらくいらない。しかし、手元の本で確認すると、BOOK2は昨年の5月30日に初版で、7月7日には既に12刷、1Q84が怒涛の売れ行きだったことがわかる。この本を読む日本列島の大半の人は、この七万二千回のくだりで笑っちゃったりするんだろうかなんてことを想像するとそれだけで、世の中とわたしの間の齟齬ということが感じられ、萎えてしまう。
わたしの胸の話。わたしが女子高生だったとき、ラグビー部のマネジャーなんてことをやっていたもので、わたしの胸は部員たちからからかわれる格好の材料になってしまい、雛形あきこが全盛だった当時、雛形がチョモランマならおまえは和田山だと揶揄された。和田山というのはわたしの実家の裏側にある古墳群なのだが、おそらく標高は50メートルにも満たないぐらいの丘のような代物で、幼いときにはよくお弁当を持ってハイキングに出かけて円墳の上で寝転んだりしたのだったけれど、それはともかく。ラグビー部の部室裏にはテニスコートがあり、ひとつ下の学年にきていた交換留学生のジェニファーが、テニスをやっていた。そのジェニファーというのが、真っ白の肌に金髪、青い目、手足はすらりと長く乳もでかいという、絵に描いたような美しい女の子だった。あるときジェニファーに、ジェニファーは、色白で、手足は長いし、ほっそりして、おっぱいもでかくて、本当にうらやましい、わたしなんて肌は褐色、体はむちむちなのにおっぱいが小さいよと、訴えた。ジェニファーは、わたしは色も白すぎるし、手足だって長すぎる、やせ過ぎだし、おっぱいだって大きすぎて、こんな体は気持ち悪い、マミぐらいが丁度いい、マミぐらいになりたいと、ため息まじりにいうのだった。それで、なにジェニファーの理想ってわたしなのと冗談めかしていったところ、うんマミはわたしの理想だよと、真顔でいわれてしまって、こちらとしてはぐうの音も出なかった。数年後、ブラッドピットが出ているエドウィン503のコマーシャルで、ブラッドピットがジェニファー!と呼びかけた相手が、あのジェニファーに似ているなあなんてことを思っていたら、どうも当人だったので驚いた。それでまわりの友人たちに、あのCMに出ているジェニファーの理想はわたしなんだという話をすると、漏れなく失笑を買うことができた。
そんなわたしの胸も、出産ののちに劇的に変化し、分娩の翌日はおっぱいがじんじんと熱をもって痛み出し、円盤型のアイスノンを両のおっぱいに載せて、それでも眠れないほどだった。いまは走り出すとユサユサ揺れて、あんまり走ると落ちるのではないかと気が気でない。今、ふくれたりしぼんだりを繰りかえすおっぱいを眺めながら、人間の体は記号なんだなあということを思う。