まみ めも

つむじまがりといわれます

夢みるピーターの七つの冒険

家から十分ほど歩いたところに図書館があることを知った。ここに暮らして丸四年が経つというのに、駅とは反対の方角のすこし奥まったところにあるもんでちっとも気づかなかった。それで、思い立ってでかけてみたら休館日、翌日でなおしてさっそく利用登録をし、本棚をぐるりと見渡す。ひと部屋だけのちんまりした図書館で、小学校や保育園が近いせいか児童書の低い本棚が半分ほどを占めて、ベビーベッドもあるし、ビッグサイズの絵本もあって(本当にでかい)、いい具合に力が抜けている感じ。分類もテキトーで、エッセイと書いてあるところに小説もなにも一緒くたになっていた。二週間の期限でどれほど読めるかわからなかったので、軽そうなものを二冊えらんで、借りてきた。わたしが図書館というもんから離れているあいだに、図書館にはIT革命が押し寄せており、書籍はすべてバーコード管理、裏表紙をめくったところのポケットも図書カードもなくなり、もちろん借り出しの履歴もわからない。本を借りてみて、図書カードにいつも名前のあるアノ子と恋に落ちる、というジブリな展開はもはやあり得ない。いや、そんなもんもともとあり得ないに限りなく近いことだけれど、まったく可能性がなくなってみて、限りなくゼロにちかいわずかの可能性でぎゅうぎゅうで妄想していたということが知れた。

夢みるピーターの七つの冒険

夢みるピーターの七つの冒険

本棚を流していると外国文学のイアン・マキューアンでなんとなく立ち止まり、一番軽そうな(物理的にも、内容的にも)一冊を選ぶ。夢みがちなピーター少年が、飼い猫といれかわったり、クリームで家族を消したり、あかちゃんになったり、おとなになったり、自分でも現実か空想かわからないまま冒険をやる。いま、わたしは中年で、しわもしみもある中年で、下腹部の突き出た二児の母、自分があかちゃんだったり、はじめて恋におちたりしていたことは、いまの自分から手の届きようのないむこう側にいってしまったとおもっていたのに、そのころの欠片がきらきらと舞いおりてきたのでめんくらった。そーだった、あかちゃんのわたしも、初恋していたわたしも、我慢ならない思い出の数々も、いまのわたしと続いてるんだった。

ピーターはまた、胃のあたりをしめつけられるような感じを覚えました。それは冷たい、落ちていくような感覚です。ひざからすこし力が抜けているのを感じます。

これは、ピーターが冒険のなかで恋に落ちるときの描写。恋って、落ちると浮くが混在した、妙なもんだよなあ。