まみ めも

つむじまがりといわれます

旅ゆけば物語(ちくま文学の森)

旅ゆけば物語 (ちくま文学の森)
鉄道唱歌(大和田建樹)/一時間の航海(福永武彦)/斑鳩物語(高浜虚子)/或る田舎町の魅力(吉田健一)/山陰(木山捷平)/東海道五十三次岡本かの子)/三十石道中(広沢虎造演)/乞食旅(勝小吉)/突貫紀行(幸田露伴)/清光館哀史(柳田国男)/高千穂に冬雨ふれり(坂口安吾)/御者付き旅行(アンデルセン)/ファルケンブルクの斬首された騎士(ユゴー)/蛇つかい(永井荷風)/牢屋の歌(大杉栄)/はだかの外国女(山下清)/やさしい国・オランダ(山下清)/お茶の葉(H.S.ホワイトヘッド)/北欧の夜(P.モーラン)/世界一周(ボンテンペルリ)/クバニ王国考(花田清輝)/ミクロメガス(ヴォルテール
鉄道唱歌「汽笛一声新橋をはやわが汽車は離れたり」から始まる一冊のなかに、いろんな旅がある。本の中ならどこにだっていける。いつもの家のいつものソファで、茶を啜り、体はここにありながら、こころは時空をピョーンと跨いで異空間にとんでいく。
永井荷風を読んでいたときは、ちょうど夜泣きがつづいていて、夜は一時間と空けずに泣いてぐずったので、寝不足だった。蒲団に半身をつっこんで枕を背中にあてて本を読んでいたら、わたしもうつらうつらしてしまった。荷風先生がふらんすの性の悪い葡萄酒で酔い過し、ぐらぐらする頭で川原に倒れこんで、往来の娘の笑い声やあし音に耳を澄ましている。そこで、
「突然大地の揺る響に自分はびっくりして身を跳ね起した。」
という一文にでくわしたときは、わたしもどきりと目が覚めたんだった。こどもは隣ですうすう眠っている。半分だけ電気をともした部屋で、ひとりでわらった。ふらんすの川原と浦和のひと部屋がリンクしたことが、誰にともなくおもはゆい。本を読みながら、経験する旅、その旅は現実にわたしがいるときどきに着陸し、また離陸し、それを繰り返す。一度読んだ本を読み返すときには、そういう過去の自分にもであってしまうので、うっかりすると二度と読めないような本なんかもあったりする。
スピンは、ポンテンペルリの凝縮された世界一周(たった10ページで世界を一周できてしまう)、山下清の眼を通してみえてくるまっさらな世界、ポール・モーランの詩情あふれるいびつな物語にも惹かれたけれども、木山捷平に戻した。まだその地を踏まぬ山陰地方への憧憬というのか、こちらで勝手におもっている山陰というイメージを否応なく増幅する一編だった。しめりけがあって、うらぶれた感じ。「山陰」はある温泉場での一連のできごとなのだが、事実は小説より奇なりというけれども、まことかと思われるようなキワキワのできごと、それを淡々と記す筆致も滑稽じみている。あと半歩ふみだしたらわけのわからない奈落におっこちてしまいそうな危うさが夢のようで、そのギリギリ感がものすごくおかしく、ちょっぴりこわい。
山陰にいってみたくなった。きっと山陰は明るくって、コンビニエンスストアもTSUTAYAもスターバックスコーヒーもあるんだろうな。裏切られた気持ちで、鳥取砂丘でサイダーをぷしゅっとやりたい。