まみ めも

つむじまがりといわれます

ちょっとそこまで

ホテルの大広間でお祝いがあったので、仕事を切り上げて都内にでる。久しぶりに履いたストッキングが鬱陶しい。地下鉄のにおい。ビル群がそびえて、その隙間から東京タワーがのぞいていた。立食のお祝いだったが、中華にローストビーフビーフシチュー、フルーツにケーキ、そしてビールをたくさん飲んで、外に出たときの都会のなまぬるい風。地下鉄に乗り込んで、混雑したときの見知らぬひととの距離感。なんだかこの感じをすっかり忘れていて、もの珍しかった。帰り道でiPhoneを落っことしたら、画面にびりびりにひびが入った。

ちょっとそこまで (1985年)

ちょっとそこまで (1985年)

川本三郎で蔵書検索して予約。ちょっとそこまで、の川本三郎につきあって、家の湯船につかりながら本の旅。

私の場合、旅といっても冒険や探検とはほとんど縁がない。瞑想の旅でもない。ただ気分のおもむくまま田圃道を歩き、湯につかり、宿の裏を流れる川の音を聞きながらビールを飲む。それだけの旅である。なまけものの旅である。旅のあいだ大きな事件も起こらないしドラマもない。残念ながら行きずりの恋にも縁がない。それでも初夏の旅のときなど朝早く起きて川原の露天風呂にひとりつかっているだけで心が穏やかになってくる。
下町、温泉、港町に共通しているところはそれぞれすがれた、老人の匂いがすることだろうか。どこの町にも時代や状況から一歩降りた一種世捨て人的な落着きがある。そういう町では路地を歩いているとしばしば「ここは前に来たことがある」という既視感にとらわれる。旅はその瞬間、「行く旅」ではなく「帰る旅」になる。日常的な風景が幻想的に見えてくる。

「行く旅」じゃなくて「帰る旅」だって。川本三郎にくっついて、どこまでだって帰っていきたい。瓶ビールからとぽとぽとビールをついで、ちいさなグラスで乾杯したら、おいしいだろうな。