まみ めも

つむじまがりといわれます

人情ばなし(新・ちくま文学の森)

人情ばなし (新・ちくま文学の森)
このよがくもん(幸田文)/尋三の春(木山捷平)/シモンのとうちゃん(モーパッサン)/カブリワラ(タゴール)/多忙な仲買人のロマンス(O・ヘンリー)/うみがに(マナット・チャンヨン)/幸福者モーム)/菊(スタインベック)/文七元結三遊亭円生)/ごりがん(上司小剣)/竹の子抄(今東光)/ブルーフィルム(グレアム・グリーン)/沓掛時次郎(長谷川伸)/落穂拾い(小山清)/青梅雨(永井龍男)/イングマルソン一族(ラーゲルレーヴ)
わたしは、つむじも臍もぐねぐね曲がっているような人間なので、人情ばなしなんて銘打ってあるような物語を読むときには、なんだかかしこまってしまう。小説にしたって映画にしたって、全米が涙しようが、日本じゅうが感動の渦にのまれて沈没しようが、感動を煽られれば煽られるほど、わたしはゼッテーなかねーぞといよいよ頑なに心の堤防を高くたかく築いてしまう。心にダムはあるのかい?と江口洋介に尋ねられたら、ウンと答えるしかあるまい。だから、この本も素直にはたのしめないで終わった。スピンもどこにも戻せないで、適当にはさまったままにしておく。
そうかと思うと、武装解除して油断しているときなど、思わぬようなことでダムは決壊してしまう。卒業旅行、あれはわたしが大学院の一年から二年にあがる春、研究室の後輩のKが卒業旅行をやりたいというので、ふたりで九州をぐるりするツアーに参加した。わたしたちはOLさんたちがたくさん参加するキャピキャピツアーを予想していて、やおら友達になっちゃったりして!?なんて勝手な期待を膨らましておったが、蓋をあけてみたらツアーの九割は中高年、バス車内で「じゃがたらお春」とかいう我々にはちんぷんかんぷんな歌を合唱されてみたり、春雨に濡れた彼らが風邪をひいてバス車内でゴホゴホ咳き込み、その風邪をもらったKは旅行のあとひと月近く咳がとまらないというなかなか消耗的な旅になってしまった。阿蘇だったと思うが、宿の食事のあとで、コンビニで買い込んだ酒をふたりで煽りながら部屋でテレビを見た。テレビでは大家族スペシャルをやっておった。その大家族、母親が失踪し、けなげに家事をこなす長女が妊娠、未婚の母となるという、その一連のドキュメンタリーでなぜか女ふたり号泣してしまった。見終わって、妙なはずかしさも手伝い、酒、酒買いにいこ、酒、と、またコンビニに繰り出した。酒をひととおり見繕ってレジにいこうとしたら、Kが竹輪をにぎりしめて、マミさんこれも買いましょうという。ヨシキタ。それで、そのあとは竹輪を頬ばって赤ワインを飲み、酔いにまかして寝たのだが、Kが酔っぱらって竹輪を買うのはそれが二度目だったので、あくる日になって、竹輪がすきなの、ときいてみたら、わたし実は竹輪が嫌いなんですという。まあでも、嫌いなものをチキショーと思って買ってしまう気持ち、わからないでもない。以来、竹輪のあの穴をながめていると、あの旅の消耗と、涙で変に浄化されたきもちが蘇り、妙にねじくれた旅情が沸き起こるようになったという話。