まみ めも

つむじまがりといわれます

赤目四十八瀧心中未遂

赤目四十八瀧心中未遂
車谷長吉私小説をやるひとだというのも知らなかったが、こないだ読んだエッセイ集に車谷長吉のもはさまっていて、それには、つげ義春のえがく私漫画の世界観に共感をおぼえたようなことが書いてあった。いわく、私小説私漫画とは「嫁はんに尻拭いをしてもらって生きている男の、自己に対する怒りに満ちた、悲しい意地」なんだそうだ。へーとおもってブックオフをぶらついていたら文庫¥105コーナーに車谷長吉をみつけて買った。それを通勤のおともに。

「私」はアパートの一室でモツを串に刺し続けた。向いの部屋に住む女の背中一面には、迦陵頻伽(かりょうびんが)の刺青があった。ある日、女は私の部屋の戸を開けた。「うちを連れて逃げてッ」。圧倒的な小説作りの巧みさと見事な文章で、底辺に住む人々の情念を描き切る。直木賞受賞で文壇を騒然とさせた話題作。

うちを連れて逃げて。どこへ。この世の外へ。なんて、けっと思うようなせりふなんだけれども、実際この小説を読んでみたら、どこまでがプライヴェートなのやらわからんが、異形のエピソードのいちいちが妙にリアリスティックでこころに迫って、ぐいぐい読んじゃった。異形のエピソードいうのは、アパート一室でからだを売った中年女が、ことの果てたあとで、おつたいがなあ、うろたんりりもお、なんてことばにならん念仏めいたことを唱えてみたり、あるいは、まぐわったあとの女ののこしていった下穿きを新聞紙にくるんで冷蔵庫にしまってみたり、そういうしょーもないことなんだけれども、とにかく、じっとりぬめぬめして血に触れたみたいななまなましさがある。おなじ私小説西村賢太とのちがいはなんだろう、とじぶんに問いかけてみたけど、要は、わたしがインテリ趣味なだけかもしれんとおもった。
それにしても、通勤路でひらくページに「腐れ金玉が歌歌い出すほどの器量好し」「うちは、あんたのちんちんが好きなだけや」「きみ一遍アヤ子のおめこさすってやってくれんかの」なんて文字列を発見するものだから、誰か知ってるひとに覗かれたらどうしようかと、小説の筋とはまた関連ないところでスリルを味わってしまった。けれども本はとぢない。先に読んだマン盆栽も、一見ほのぼのしとるくせに、「マン苔」「マン孤島」なんてことばが露出するのでなかなか食えない一冊だった。ちなみに、マン苔というのはマン盆栽の苔のことで、マン○の毛のことではないというのがマン盆栽家元パラダイス山元氏の弁。