まみ めも

つむじまがりといわれます

せつない話 第二集

せつない話〈第2集〉
雨雨雨。今朝の雨はすごかった。通勤の途上、かばんもズボンもぐしょ濡れでワントーン暗くなる。でも、ここまで土砂降りになればなんだか祭りめいてくるというもので、不思議と気分はワントーン明るくなる。川のように雨水がどうどう流れるアスファルトに威勢よく足を踏み出して、靴だってぐしょ濡れにしてやった。小学生もきゃーきゃーたのしそう。会社についたら、ゴミ袋に穴をあけて着ている殿方やら、便所サンダルで通勤する大人女子やらあり、この土砂降りならなんでもありだなあと思ったらますます愉快になった。そんなことはひた隠しにして、雨、やンなっちゃいますねとみんなに示し合わせ、社会性を演出してみたりなんてして。
「せつない話」を鞄にいれたのは、丁度息子が入院しはじめたときで、泣き叫ぶ息子を病院に残してくるやり切れなさに、さらにせつない話を読んで自分で拍車をかけたようなところがある。せつながるという気持ちは、胸がしめつけられ苦しいようでありながら感情のカタルシスがちょっぴり快感だったりし、わるいもんでもない。ところが、有島武郎一房の葡萄意外の短編は、わたしの中の「せつない」の辺縁をちくちくと刺激するばかりだった。でも、こんなふうに、おんなじ単語をおなじようにつかっていながら、実体は全然べつのところにあるって、往々にしてあるわな。せつなくはないけれどもいい話はいくつかあった。せつながりたい気持ちを不完全燃焼にもてあましていたら、Kから結婚すると報告があり、その夜は息子が寝たあとひとりぼんやりしていたものだから一挙にせつない気持ちが押し寄せた。じつは若干ラヴにちかい感情を抱いていたのだとおもう。Kは、いつもなにかしら悪態をついて、チッと舌打ち、自虐的、しじゅう下品なことばっかり言っている。感情にブレーキなんてない。いつも振り切れている。とにかく結婚にはむかないことは確か、だからどこかでそんなことはないんだろうと油断していたかもしれない。そっか、結婚するんだなあとおもったら、ふたりで朝までカラオケして泣きながら五輪真弓を熱唱したことや、どこぞのキャンパスで、ウィスパーの真似といって芝のうえをかろやかに跳んだKの姿、くだらないあれこれが思い出され、本当にくだらないと我ながら思うけれども思い出される事柄がくだらなければくだらないほどせつなくなるので弱った。また一緒にあほなことをやりたい。や、あほなことはやろうと思えばいつでもやれるのだけれども。