まみ めも

つむじまがりといわれます

高校生心理学〜悩み多き若者に与う〜

高校生心理学 (現代教養文庫 622)
もう悩み多き若者でもなんでもない中年なので、悩みがあるかと問われるとたいしたものは思いつかないで、どちらかといえば悩むひまなく日々の生活で精一杯。でも、まあ、こういう精一杯の生活も悪くないもんだなあとおもう。この、高校生心理学というのは、六十年代の本で、やっぱり筈の本棚にあったのだが、高校生から投書で寄せられた悩みに心理学が専門であられる先生が逐一アドヴァイスするという形式でつくられてある。悩みの内容は古今東西変わらんもので、女の子を孕ませてしまっただの、男女交際がしたいだの、友達から仲間はずれだの、はたまた人生の意味がわからないだの、当人からしたら切実なる悩みなんだろうが、はっきりいって凡庸なものだった。悩みなんてのは、どれもこれも似たようなもんで、たぶんわたしがこれまで悩んだどんな悩みもYahoo知恵袋にあるだろうなあ。答えがそこにあるかどうかはともかく。この本もYahoo知恵袋みたいなもんだった。
それで、恋に悩む高校生に対して、先生、おっかぶせるように、その人の好ましい点はなんなのか、それは他人にはないものなのか、しまいにはその人はほんとうに絶対的なのですかと言い出す始末なので、なんだかもう恋の悩みなんて忘れてしまったわたしでも責め立てられるようで肩身の狭い気持ちになるのだったが、そもそも恋愛というのは、ただの水に光がきらきら反射してきれいだなあと感じるようなもんなので(スタンダールは結晶作用といったんだっけ)、代替なんてことを言い出すのはナンセンスというものだ。代替可能な凡庸な相手の一見なんの意味ももたない歪みがとんでもない魅力をはなって、こころがはまり込んだら抜け出せなくなってしまうのが恋。だから、絶対的かどうかではなく、絶対的だとこちら側で思い込むかどうかみたいなところがある。恋愛なんて、没頭しないとできないもんだとおもうが、でも、先生の「恋愛は大学合格までカッコに入れておくべき」という表現はいいなとおもった。もう()で括られた時点でそれは恋愛ではないのだけれど。
息子は火曜の夕方に退院して帰ってきた。入院してから乳を飲ませていないので、夜はよく眠るかと思いきや一時間ごとに起きて泣くのだった。初日は牛乳を飲ましたが、きのうは麦茶を飲まして本格的に乳離れさせることにした。のけ反って泣くときもあったが、タオルケットにくるんで抱くとおとなしくなりそのうち眠った。