まみ めも

つむじまがりといわれます

指先からソーダ

指先からソーダ
寒い日が続くけれども、日が長くなってきた光線の加減なのか朝の空気がやわらかい。遊歩道にちんまりした腰ほどの高さの梅の木があるのが、つぼみをぷちぷちと膨らましていつのまにか小さな白い花がひとつひらいている。雪の日に咲いてしまって、いかにも寒そうに肩身せまくひらいた花がずいぶんかわいらしい。芽吹くものを見ていると、萌えってことばが思い出されて、あんまり的確に気持ちのうずうずする具合を示していてわらいそうになる。
山崎ナオコーラというひとの本は、人のセックスを笑うなというのしか読んだことがない。たしか巻末の解説で高橋源一郎がコーラなんて資本主義の象徴を名前にもってくるなんてやられたというようなことを書いていたように覚えている。指先からソーダというのは雑誌に投稿されたエッセイやなんかを集めたもので、表紙の腫れぼったい顔の女の人がナオコーラなんだろうなと思ったらやっぱりそうだった。とんがったひとを想像していたので、時代も年齢も定まらないおばさんめいた人で意外だった。帯に長嶋有が、ナオコーラの文章は心地よい途中経過でおわりも始まりもないと書いていたが、そのとおりで、いきなり文章がおわって次の頁からはあたらしい話になっているので階段をひとつ多く見積もっていてそらで昇ってしまったときのようなつんのめる感じがした。読んでみたらやっぱりナオコーラ氏はとんがったところのないみた感じを裏切らないひとのようで、地味なひとなんだなあとおもう。地味ななかに、指先からソーダとか、浮世でランチとか、本のタイトルになったみたいなキャッチコピーに近いグンとくるフレーズがまじっていて、その落差にむずむずした。本人は硬くて甘い飴のような文章を書きたいといっているが、どちらかというと甘くてむにむにしたマシュマロみたいな文章だとおもった。エッセイなのにリアリティがあんまりないところもマシュマロっぽい。そしてわたしはマシュマロのようなコンセプト重視のお菓子は苦手だった。芋けんぴみたいにもっとがりがりと噛みしめたい。