まみ めも

つむじまがりといわれます

1Q84 BOOK3

1Q84 BOOK 3
鎌倉の家は居間の奥に義父の書斎があって、細長い部屋の壁は天井まで造り付けの本棚いっぱいに雑然と本がならんでいる。はじめて入ったときは随分わくわくしたのだったが、そのうちわたしと義父とは本の嗜好が殆ど相入れないことがわかったし、ゴキブリが疾走しているとの噂をきいたのであんまり寄りつかなくなった。今年の正月にいったときに義父が息子をつれて書斎であそんでいたのでくっついて入ってみたらそのなかに1Q84の続きをみつけたので借りた。それで、2012年にはじめてひらいた本は1Q84だった。なんか挟まっているなと思ったら1Q84について書かれた新聞の書評やなんかを律儀に切り抜いて挟んであった。義父はどちらかというと知識の収集が趣味みたいなところがあって、文芸本は読まない。1Q84に手を出したのはおそらく話題性からなんだろうと切り抜きをみて改めておもった。わたしはといえばわりと熱中してBOOK2まで読んだはずなのにちっとも話がのこっていないで、読んでいるうちに少しずつ内容が戻ってきたが、この、ただ通り過ぎていく感じこそ村上春樹の小説の特徴かもしれない。どの小説を読んだのか、どんな内容だったのか、ほとんどのものを思い出せない。軽薄というのでもないが、質量に欠ける。展開が絶対に想像のむこうがわにいってくれないのですこし物足りなくもある。今回も、結局セックスでおわるんかいとおもった。セックスにおける若干の変態ぶりもけしてぶっとんでいない。こんなんでは漫画ゴラクのSとMのぶっとび具合には到底太刀打ちできない。挟んであった記事に村上春樹のインタヴューがのっていて、物語の善き面を伝えたいなんてことをいっていて、まあ、それは本人がどういうふうに考えても別にかまわないんだけれども、わたしは村上春樹の小説は完全なる娯楽だととらえていたのでちょっと驚いた。どんなつもりで書いているんだろう。なんかのスピーチで、英語だったとおもうが、壁と卵の話をしていたときも、あつく語るわりに内容が漠としていて、このひとはなにを言ってるんだろうとおもったが、なんというか、考えている素地がわたしとはまったく異なるひとなんだと思う。きっと話しても噛み合わないだろうな。とおもったが、大概のひとと話が噛み合ったためしがないことに気づいた。夫氏にかんしても、話がちっとも通じないところに惹かれてしまったんだった。話が通じない相手に愛を通じようとしたんだから、われながら天晴れというほかない。