まみ めも

つむじまがりといわれます

父小泉信三を語る

朝、セイちゃんを保育園に送り届け、日用品の買い物、夕飯のしたく、天気がよければシーツを洗いふとんをほす。午後はフクちゃんを抱いてソファで本を読んだりうとうとしたりするとあっという間に迎えの時間がくる。そんな定型の毎日を消費している我が家にちいさなニュース。いつもきいている金曜朝のラジオに応募したら、ジョンカビラからなま電話がかかってきたのだった。寝起きの宿六氏はなにもしらなかったものだから、びっくりし、朝から汗をびっしょりしていた。週明け、郵便受けに家族四人のなまえとメッセージいりのポストカードが届いた。定型の毎日も悪くないけれど、いいニュースはいくらでも大歓迎。

父小泉信三を語る

父小泉信三を語る

会社でときおり本や展覧会のチケット、調度品などの掲示があり、応募すると抽選でもらえたりする。これまで、ドーナツの割引券やデパートで開かれたドアノーの写真展のチケットなどが舞い込んできた。一年ほどまえ、小泉信三というひとのことを別段しらないときに、宿六氏と名前がおなじというそれだけの興味で応募したら当選し、あるときデスクのうえに届いていた。家に持ち帰って戸棚にしまいこんでいたが、こないだ手紙のアンソロジーで読んだ、小泉信三が出征する息子に宛てた手紙があんまりに胸をうつ内容だったのですっかり感化されてしまい、ひっぱりだして読むことにした。小泉家のできごとを娘さんの視点から語ってあるが、くだんの信吉さんについて、こどもの時分はひどく怖がりで、往来にある電灯なども見た目におそろしげなものがあるとその道を通れなかったなんて書いてあり、そんなひとがみずから志願したとはいえ戦地におもむき死を遂げたことを思うと不憫さにくるしくなった。電車で胡椒をまきちらしていたずらをやった話、おかあさまの瞳は湖のようだと惚れ惚れしていただとか、どんなエピソードものちの戦死をおもうとかなしいものにならざるを得ない。親としては心底たまらないだろう。そんでもって、うちのセイちゃんもやたらと怖がりで、蟻やら蝶々やらにびくびく怯えたり、寝るときには肌に触れたままでないと寝付けないで甘えたりするものだから、勝手にひとごとでなくしてしまうのだった。本では、ほかにも、今上天皇との交流、柳田邦男や佐藤春夫とのつきあいなどにも話は及んでいた。小泉信三というひとのおおらかでユーモラスな人間像をみるにつけ、息子の死や、かわいがっていた孫の早逝など、かなしみがはっきり隈取られるようだった。