まみ めも

つむじまがりといわれます

火宅の人

こないだ商店街をぶらついとったら、向こうから白髪のばーちゃんが、膝上のスカートにレース編みのソックス、杖をつきつつサンダルをぺたんぺたんやって歩いてくるのに目がいった。随分と派手なばーちゃんだなあと思って眺めていると、顔見知りらしい床屋の親父がでてきて、トメさん、おばあちゃんなんだから短いスカートはやめなよ、と声をかける、のに、ばーちゃんは知らん顔して通り過ぎる。床屋は、ねえ、トメさん、おばあちゃんなんだからさ、と背中に繰り返し、それでもばーちゃんがぺたんぺたん歩いていくものだから、ヴォリュームが次第にあがり、ええい捨て鉢、ねえ!おねーさん!と声をかけたその瞬間にトメさんは、ものすごい瞬発力でなあに?と振り向いた、その瞬発力が、背後にひとが立ったときのゴルゴ13級だったので、床屋がみごとにずっこけた。ファンキーだなあ、トメちゃん。ナマ脚さらけてるばーちゃんなんて、ちょっといい。

火宅の人(上) (新潮文庫)

火宅の人(上) (新潮文庫)

火宅の人 (下) (新潮文庫)

火宅の人 (下) (新潮文庫)

火宅の人、あとがきによると檀一雄が「私小説というみみっちい小説形態を存分に駆使して」綴った自伝的なやつ。私小説に対して自虐的というか、冷笑的であるというか、後ろ向きなのは、うん、いいんでないかな。こんな露悪趣味を肯定的にやられたら理解に苦しむ。ありえなくだらしない男の半生に腹が立ってしかたないのだが、ウイスキーと牛乳をちゃんぽんにして酔いどれの挙句、嫉妬にかられて死にたくなり、ホテルの窓枠で自殺の練習、「どうせ死ぬなら、犬のうんこの真上に粉々に自分の頭を砕き潰してやるさ」、ここらへんのものすごい真実味にギョッとする。真実味はあっても、こーいうとことんだめな男は絶対に死なん、死なんどころか放蕩を上塗りして真実のところから逃げてばっかし、だけれども真実はどこまでもこのひとを追いかけてくる。小説にする以外にさばき方を思いつかないような人生。檀一雄は料理がうまかったらしいので、きっとこれがみみっちいけれども最良の調理法なんだろう。