まみ めも

つむじまがりといわれます

武器よさらば

宿六の誕生日があけた水曜日から、兄の結婚式があるのでしばらく実家に帰っていた。セイちゃんが一昼夜高熱をだし、セイちゃんと母のマシンガントーク攻撃も容赦なく、庭のイルミネーションが盗難にあい(その後イルミネーション盗難譚を母から三べん繰り返される)、地震や暴風雪で列車が止まったり、なにやら落ちつかない13日間だったが、ともあれ無事に結婚式をおえたのでよかった。兄は、くそまじめが取り柄の男やけれども、披露宴をやってみたら、なかなかにチャーミングなサービス精神を発揮しており、友人のスピーチもすばらしく(深い理由はありませんが、お味噌汁のわかめをほんの少し多めにいれてあげてください、という名言があった)、なんたって百点満点のかわいらしいお嫁さんをもらい、妹として誇らしかった。いとこらが子守りを手伝ってくれ、フクちゃんは南部太鼓のずんどこかんかん打ち鳴らされるそばでベビーベッドに横たわり熟睡、わたしはご馳走のお皿を残らずきれいに食べ尽くし、とてもたのしませてもらった。帰りの親族の送迎バスでは、みんなぐっすりねむり、セイちゃんは宿六の膝のうえでタキシードが乱れて新橋の酔っぱらいみたくなっていた。浦和に戻ってから、子守りに忙しいわたしたちに代わって従兄弟のうつしてくれた写真を見返してみたら、ついぞ家族の前ではみたことのないような兄の笑顔がおさまっており、じわじわとうれしい気持ちがあとからあとから湧くのであった。

武器よさらば (新潮文庫)

武器よさらば (新潮文庫)

実家に本を持参するのを忘れたので、本棚からだれのものかわからないヘミングウェイを一冊とりだして読む。

ぼくは彼女と恋に落ちるなどとは思ってもいなかった。だれとも恋になんか落ちたいとは思わなかった。それなのに、ぼくは恋に落ちたのだ。

ヘミングウェイの小説に漂う徹底的な喪失感と無力感。恋ははじまる前からうしなわれているし、恋の絶頂でも、おわりの予感に満ちている。恋人たちは、喪失をわかりきっていることのように、わたしとあなた、ふたりの世界にどっぷりと身を浸してしらんぷりを決めこもうとする。

あなたのしたいことを、わたしもしたいの。もうわたしってものはないんだわ。ただ、あなたのしたいことしかないんだわ。
もうわたしなんてないわ。わたしはあなたなのよ。もう一人の別のわたしをつくるなんていやだわ。
心配なのは、あなたから引離されることだけよ。あなたはわたしの宗教だわ。あなたはわたしのすべてよ。
ねえ、わたしは、あなたを自分のものにしたいもんだから、自分もあなたになってしまいたいんだわ。
ぼくはきみだよ。ぼくたちは同じものさ。
わたしたちは、すっかりとけあってしまいたいの。
ぴったり同じ瞬間に眠りましょうね。

「ちえっ」ぼくは言った。「いまだってこんなに惚れているんだよ。このうえどうしろというんだい?ぼくをめちゃめちゃにしたいのかい?」
「そうよ、わたし、あなたをめちゃめちゃにしたいの」
「いいとも」ぼくは言った。「ぼくもそうされたいんだ」

ものすごい愛の語録。おそろしいほどにピュアにお互いを求めあいまじりあうふたりは、まるでなにも知らないこどもみたい。ぴったり同じ瞬間に眠りましょうね、なんて、ちょっと思いつかないせりふだ。きっとヘミングウェイは実際こんなことをいう女とつきあったに違いない。こんなせりふは、おなじテンションで愛し合っていなければ愛のことばとして成立しない類のもんだろう。ヘミングウェイの顔のカバーをつけて、中身は実はハーレクインなんではないかと疑ってしまう。

人間は死ぬ。死ぬとはどういうことか、だれも知らない。知る余裕がないのだ。やにわに世界に投げこまれ、ルールを教えられ、ベースを離れたとたんにタッチされ、アウトにされるのだ。(略)しかし、結局は殺されるのだ。それだけは確実だ。うろうろしているうちに殺されるのだ。

そして、愛はやっぱり墜落する。ハーレクインではこんなハードボイルドにはいかんわな。「二人の人間が愛し合えば、ハッピーエンドはあり得ない」そうだ。でも、ハッピーエンドになる愛も、どっかには落ちてるんでないかな。わたしはどうやらまだ見たことないけど、あると思う。吉本隆明のことばを借りるなら、信仰といってもいい。根拠はない。