まみ めも

つむじまがりといわれます

貝がらと海の音

こないだの土曜日は、三時間ばかり暇をもらい、街にでた。落ち葉のかさこそいう遊歩道を、PhoenixのIt's Never Been Like Thatをききながらずんずん歩く。とにかくこのアルバムのLong Distance Callという曲が好きで好きで、ちょっと恋しちゃってるレベルでときめいてしまう。センチメンタルを流し目でみている感じが問答無用にたまらない。公園を風が吹き渡ると、どんぐりがぱらぱらと落ちてくる。緑の帽子をかぶったどんぐりをひとつひろい、家路。

貝がらと海の音

貝がらと海の音

図書館で、庄野潤三の名前をみつけてうれしくなって一冊借りる。読んでいるうちにせきれいより前の時期にかかれたものであるらしいことが知れていく。パッチワークをちくちく縫い進めるように老夫婦の日々の生活をあわあわとしるした本を、わたしは返し縫いのように読んでいる。

残った一つを恵子ちゃんに渡し、
「風船一つだけとばそう」
という。
「手を放してごらん」
赤い風船が一つ、空に上ってゆくのを、長男と恵子ちゃんとあとから出て来たあつ子ちゃんとみんなで見上げる。恵子ちゃんの風船を放した手と手をつないで、風船が小さくなるまで見上げていた。恵子ちゃん、風船が上ってゆくにつれて、つないだ手に力を入れる。

この本のなかで一番すきなくだりは、庄野潤三の奥さんが孫の恵子ちゃんと風船をとばしたエピソードで、つないだ手に力を入れる、という、その部分で涙が出そうになる。さよならの感じ。奥さんは、恵子ちゃんの手にこめたわずかな力を受けとめて、夫婦の食卓かなんかで、庄野潤三に語ってきかせる、そして、その力は文字になって残った。この文章の徹底的な何気なさ、ほんとうに何気ない、なんでもないことだからこそ、その文章がこうやって情景として残っていることに、圧倒的にはかない生の一回性があらわれ、かけがえない美しいものに思えて、気が遠くなる。