まみ めも

つむじまがりといわれます

野菜讃歌

おなかはいよいよ突き出し、うぶ毛が逆巻き、へそのまわりに色素沈着して、どこかで見たことあるような様相だとおもったら、ゴッホの描く太陽に似ている。すわ前駆陣痛かと思うようなおなかの張りは朝がきたらどこかへ引っ込んでしまった。

野菜讃歌

野菜讃歌

図書館で借りる庄野潤三も三冊目。1998年のもので、いつもの日記形式ではなくエッセイや記事をまとめたもの。それでも知ったエピソードのめじろ押しで、やっぱりいつもの時間と場所が用意されていて、ただいまと言いたくなる。晩年の作品にくらべると、おなじことを書いていてもどこかしら筆の強さがあって、庄野潤三も若かったんだなと思う。日本経済新聞私の履歴書」も収録されており、その中で伊東静雄庄野潤三にのこしたことば。

あなたは独自のいいものを持っているのだから、自信を持って、それを大切に育てて下さいよ。ジャーナリズムをあまり気にして、その大事なものを失わないようにしないといけませんよ。

このことばを守って庄野潤三は最後までジャーナリズムの風の吹かないところで独自のいいものを大切にしたと思う。「山の家」がそうだったように、たくさん風よけになってくれた家族や友人がいたことがうれしい。
ソファにねそべりながらうつらうつらして、何度もおなじ行を読んでちっとも頭にはいってこないとき、とても贅沢な時間。