宿六の誕生日からちょうど一週間すぎた。誕生日のお祝いは、ラザニアと餃子のリクエストがあり、朝から台所仕事にかかりっきりで過ごした。なんたってケーキのスポンジまで焼いてしまう発奮ぶり。ケーキにはいちごを並べて、チョコペンでL♡VEと書いてやった、Oが♡になっていることは、わたしの自供まで誰にも気づいてもらえないさり気ない過剰具合であった。♡のまじったピースは、しっかりと宿六の胃袋におさまった。この結婚は復讐である、と言い放っている女の♡は、よほど複雑な思いを致す味に違いないが、当人はうまそうにしていた。もとより複雑な味のわかる男ではなかったんだった。
- 作者: フラナリーオコナー,Flannery O'Connor,横山貞子
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1998/05
- メディア: 単行本
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強制追放者
森の景色
家庭のやすらぎ
よみがえりの日
図書館で蔵書検索した本を予約するというやりかたに味をしめたので、リストアップしてある本を一冊ずつ消化していく。フラナリー・オコナーのこの短編集では、どの物語も考えうる最悪の筋書きをいく。人間の、血でぬめぬめした、一番見たくない部分を、ぶった切ってひっくり返して見せたようなものすごい話のオンパレード。解説にあるように、「その醜いところが誇張されたグロテスクな人間像をさしだす方法」で書かれた物語は、「自分自身の内部にある同質のおぞましさをかいま見る」ことを読む側に強要する。たまらない気持ちになりながら、それでも読んでしまうのは、怖いもの見たさという言葉では片付けようのないなにかのせい。
人間を本質的に不完全なもの、悪に傾きやすいもの、しかし自身の努力に恩寵の支えが加われば救済されうるものと見る…。恩寵とは、自然をとおして働くのだが、完全に自然を超越するものである。人間の魂には可能性を受けいれ、予期されざるものを入れる通路がつねにひらけている。
希望を持たない人びとが、小説を書くことはない。それどころか、そういう人は小説を読みもしない。希望をもたない人は、なにかを長く見続けるようなことはしない。その勇気がないからだ。絶望に至る道とは、なんであれ経験を拒むことである。そして小説は、もちろん、経験する方法である。
オコナーのことばを借りるなら、わたしはこんなに絶望的な物語のうちに予期されざるものの経験を期待しとるのかもしれない。