まみ めも

つむじまがりといわれます

食味風々録

きょうから鎌倉。

食味風々録

食味風々録

2012年を締めくくる一冊は、食い意地の張ったわたしにふさわしい阿川弘之のエッセイ。なんたってアガワさんの空耳ストぶりがふるっていて、スニーカーは墨烏賊、世の中が最中、汚職事件はお食事券、ここらは序の口で、未だ九時前ぢやないは又栗饅頭だ、三分の一の値段がサンドイッチの値段、エドワード・ケネディは江戸川の鰻と聞こえるらしい。なんとも健康的でほほえましい老人性難聴。
なかなかハイカラな嗜好でワインもチーズもやるアガワさん、横文字の洒落たメニューもちらほら見えるが、なかにはうちでも真似できそうな品もある。幾つか備忘に抜粋しておく。
まずは機内食をうけつけないアガワ夫妻が機内に持ちこんで食べるという弁当。わたしは機内食のプラスチックのフォークで食べるぺらぺらのサラミなんかもそれはそれで旅の味わいとして美味しくいただける人間なので機内には持ちこまないが、こういうお弁当を是非とも拵えてみたいもんだ。

外側黒塗り内側朱色の弁当箱に、炊き立ての白い飯を詰めて、まん中に梅干しを一つ埋めこむ。端の方へ少量、大阪錦戸の「まつのはこんぶ」を散らす。あとは胡麻塩の振りかけ。おかず入れの方に牛肉の佃煮、市販の品は不可、うちで選んだ赤身の肉を、たつぷり生姜入りで今の今煮込んだもの。卵焼は、だし巻の方が好きなのだが、普通の卵焼のやはらかいので我慢する。弁当の味は濃い目でなくてはならず、だし巻は薄味がよく、どちらを主に考へるか迷つて、大抵いつも卵と調味料だけの卵焼に決まる。塩鮭を一と切れの三分の一、「コレステロールの数値が高過ぎます。塩分と動物性の脂肪を控へるやうに」、医者に言はれたばかりだが、此の際そんなこと、構つてをられるか。
豌豆豆の茹でたのを、白い御飯の方へやや寄せかけ、菠薐草のおしたしを小さな銀紙の容器に入れて、色の取り合せからも此処へ飛騨の赤蕪漬が加はるといいが、無ければひね沢庵。
「あまり盛沢山だと、正月のおせちのやうだつて、あとで必ず御不満が出るわよ」
それはさうかも知れないけれど、もう一と品二た品欲しい。長州仙崎のかまぼこと、きんぴら牛蒡を、むつと来ない程度の量、詰め合せる。

次は木犀肉、ムーシュイロウという中華料理の一品。

さて、具体的作り方だが、支那鍋の中の油がほどほどに熱くなつたところへ、といた卵を流し入れて、さッと掻きまぜ、手早く別の容器に取り出して置く。味つけは塩少量のみ。そのあとすぐ、もう一つの支那鍋で熱した油の中へ、大蒜、生姜、葱、豚肉、木耳の順に抛り込んで、酒と醤油と塩胡椒で味をととのへると、それ自体一つの惣菜として使へさうな豚肉の葱炒めが出来上る。これに、先の掻きまぜ卵の未だあつあつを合せて再度炒め上げたのが、長年の間に変化した当家流木犀肉、難しいのは二度の油炒めで卵のきれいな色を薄黒くよごして了はないこと、じくじくの部分を少しでも多く残して置くことの二つであらう。

そしておかかご飯。おかかにわさびというのは盲点だった。これはにんべんのかつぶしパックでよろしいとのことなので、すぐにでもやれる。

我が家のかつぶし飯は、弁当箱なり小鉢なりへ、炊き立ての白いごはんを軽く入れて、それに醤油でほどよく湿らせた削り節をまぶす。その上へうつすらとわさびを添え、黒い海苔一枚敷きつめれば、容器の下半分が埋まる。上半分は同じことの繰返し。炊き立ての白米、醤油をひたした薄削りの鰹節、わさびと海苔。蓋してむらして、味が浸み込むまで、あつたかさ加減が丁度よくなるまで待つて、二段がさねの此の混ぜごはんに箸をつけると、海苔の香わさびの香がほのかに立ち昇り、何とも言へず旨い。

最後は真似できなそうなひと皿。五十三歳でこんな船旅ができたアガワさんが心底うらやましい。

目的地はビキニ環礁、日本の戦艦長門が、アメリカの洋上核実験機で沈められて其処に眠つてゐる。船は「ヤップ・アイランダー」といふ二百噸の貨物船、メジュロ島クエジュリン島を基点に、マーシャル群島の島々へ、米や煙草や日用雑貨を届けて廻つてゐる。小さな船室が三つ四つあるのだが、ミクロネシアの役人、巡回医、看護婦たちが占領してゐて、私どもは入れてもらへなかつた。甲板にござを敷き、リュクサックを枕にして、毎晩波のしぶきを浴びながら寝た。四等船客以下の扱ひだけれど、目をあければ満点の星空、船は穏かな長濤にも大揺れに揺れて、私は気分爽快、いつも腹が空いてゐた。
夕食時、狭い急な階段を降りて行くと、同じくミクロネシア人のコックが、アルミ椀に入れたべとべとの米飯へ、鶏のガラで取つた醤油味のスープを玉杓子一杯分かけて渡してくれる。それがこよなく旨かつた。ビキニへ着くまで、することは何も無かつた。食ふのと、海を眺めてゐるのだけが楽しみであつた。船の食事を語つて生涯のベスト・スリーを挙げるとすれば、ヤップ・アイランダーのチキンスープぶつかけ飯は、是非その中へ入れてやりたい。ソルジェニーツィン著「イワン・デニーソヴィチの一日」の主人公が、収容所で一日の終りに味はふ幸福感と、多少似てゐた。私が満五十三歳の秋の末のことである。

来年はきっとソルジェニーツィンイワン・デニーソヴィチの一日を読んでやろう。来年もごはんがおいしく本が面白い一年であればいうことなし。