まみ めも

つむじまがりといわれます

つまみぐい文学食堂

晦日の午後、こどもも宿六も昼寝てしまい、わたしはねむたくなかったので、台所のティファールに湯を沸かし、インスタントコーヒーをたっぷりいれて、こどもが泣いたときにわかるようにダイニングルームのドアをすこしあけて、真黒い液を啜りながら読みさしの本をぺらぺらやる。

つまみぐい文学食堂

つまみぐい文学食堂

小説の中の惹かれる食べ物のシーンを書いたら、大体不味いものの話になっていた。

あとがき対談で柴田元幸のいうとおり、まずそうなものが多く、たまに出てくる美味しいものは不在だったりする。美味しいものを食べたにしても、そのあとずっこけたりしてバランスを取らないといけない、とあとがきの誰かがいっていたが、たしかに美味しいものを食べただけの話というのは物語になりにくい。そういえば、大学の自販機で売られていたというコールドの味噌汁ドリンク、駄菓子のビッグカツの載ったカツ丼、うちのお母さんが納豆克服のために苦肉の策でつくった納豆の天ぷら、近所の定食屋の焼豚入りのオムライス、不味くないにしてもどこかしら悲哀を帯びた食べ物たちは、そこに至る過程に物語性がいかにもありそうな感じで想像力がむらむらとする。
ところで、こないだテレビの番組で、フランス人はモナムールを食べものの名前で読んだりするというのをやっていた。苺ちゃん、なんて呼ぶらしい。うちの宿六に食べものの名前を充てるとしたら迷わず椎茸なのだが、さすがに、椎茸というのはいかにも思わせぶりなので(なにを思わせるのかわからないというひとは、胸に手をあてて、ついでに股間に椎茸をあてて考えてみてほしい)、ちょっと保留にしておく。