- 作者: ソルジェニーツィン,木村浩
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1963/03/20
- メディア: 文庫
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ソルジェニーツィン著「イワン・デニーソヴィチの一日」の主人公が、収容所で一日の終りに味はふ幸福感と、多少似てゐた。
と書いているのを読んで、いてもたってもいられなくなり図書館で予約。主人公イワン・デニーソヴィチ・シューホフが酷寒(マローズ)の強制収容所ですごす平凡な一日をていねいに描いている。その一日は「ほとんど幸せとさえいえる一日」で、
午前5時、いつものように、起床の鐘が鳴った。
に始まり、
こんな日が、彼の刑期のはじめから終わりまでに、三千六百五十三日あった。閏年のために、三日のおまけがついたのだ…。
で終わる。
「ほとんど幸せとさえいえる一日」は、極限の生活であり、生と死、人間の尊厳やらなにやらぎりぎりに保たれてあるのか、ないのか、それでもしなやかに生き生きと人間が、していて、胸をうつ。マローズの空気を吸い込んだら、胸のなかに凍てついた空気がはいってきて、息がとまるだろう、経験したことのない冷たさと、この一日が実際にあったという徹底したかたさ、それをわたしはため息にして吐き出す。
トワルドフスキイがいうように、「作者は登場人物たちの運命に対して読者の心に哀傷と痛みをひきおこさずにはおかないが、その哀傷と痛みが絶望的な打ちひしがれた感情とは少しも共通点がないという点に、芸術家としての疑う余地のない勝利がある」。
アガワさんやイワン・デニーソヴィチ・シューホフの幸福感を味わうには、フルマラソンとか、出産とか、尿道結石とか、それぐらい必要かもしれんなあ。