まみ めも

つむじまがりといわれます

小説を、映画を、鉄道が走る

きのうでフクちゃんがちょうど十ヶ月で、健診にいく。冷えるなあと思っていたら、往来でピューっと吹きつけた風に雪がまじっていた。フクちゃんをくくりつけた背中を丸めて道を急ぐ。フクちゃんは体重10.8キロで、成長曲線の上端すれすれを推移している。友人が、フクちゃんの写真をみて、まさに福来るって顔をしているねといったが、福はけっして羽根がはえてふわふわしたようなもんではなく、地に足をめりこませるぐらい重たいもんなのだ。福を背負っていると関節がぎしぎしになる。夢十夜では、背負うこどもが地蔵のように重たくなって百年前の辻斬りの業を背負っているという展開だった。わたしは福の重たさを踏みしめて生活をやるのだ、という気に俄然なって、フクちゃんを背中におぶい、根菜に蒟蒻豚肉を徹底的に煮こんでやった。

小説を、映画を、鉄道が走る

小説を、映画を、鉄道が走る

図書館で、か行のコーナーに立ち止まり、川本三郎川上未映子を手に取り、どっちがいいと思うとセイちゃんに尋ねたら、鉄道の本をあやまたず選択した。

遠くまで続く線路は、遠い世界の実在を予感させる。はじめて鉄道を見た子供は、線路の先に、もうひとつの世界を感じることが出来る。ここではないどこかを夢見ることが出来る。

鉄道好きの川本三郎が、小説や漫画、映画に登場する鉄道について巡らした一冊。好きなひとが好きなものについてトコトン語るので、面白くないはずがない。川本三郎が、線路は過去をつれてくるといっていたが、読んでいるうちにいろんな過去が湧き上がってくる。地元の駅のカーブの途中で傾いて停車する電車の悲哀、上京したてのころ満員電車におそれをなし「もう乗れませんよ」とあとから来た乗客に言ったこと(その乗客は怪訝な顔でわたしを見て、乗りこんできたので、わたしはウソーと言ったが満員電車の乗客はみんな知らん顔をした)、おおきなお腹を抱えて寝台列車の北陸に乗って金沢についた朝に食べた握り鮨、フクちゃんを抱きセイちゃんをベビーカーに乗せて線路傍で過ぎる電車を眺めた夏の夕暮れの汗ばんだ体。なんだか諸々を思い出していたら足元があやうい、線路傍にいって、猛スピードでいく電車に圧倒されたくなってしまうのだった。