まみ めも

つむじまがりといわれます

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定点観測の白梅はもう花弁が落ちている。木瓜が、いまかいまかと蕾を膨らませている。木瓜が咲くときは、笑っちゃうぐらいに一斉に咲く。あの興醒めたような無粋な感じが情けなくていとしい。セイちゃんは、遊歩道のとあるお宅の玄関先にあるパンジーの植込みが気に入って、通るたびにしゃがみこんで見つめている。こないだ、しゃがみこんでいるところで、窓ががらがらとあいて、おうちの人が、あら、という。このお花が好きみたいなんです、と話すと、ありがとうね、最近あったかくて元気になってきたでしょう、と、言ってくれた。さようならと雨戸をひいたのをしおに、手をつないで帰る。フクちゃんが背中ですこし汗ばむ。のんびり寄り道したって空が明るい。

マイ・バック・ページ - ある60年代の物語

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川本三郎によると、「六十年代への遅すぎた愛情告白」。図書館本。学生闘争がとーの、共産主義でどーの、いままでいまいちわかりかねていたそこらへんが、少しだけわかったような気がした。野外音楽フェスティバル、ぐだぐだになった明け方に音楽を鳴らしたはっぴいえんど真夜中のカーボーイダスティン・ホフマンが泣くシーンが好きだといった、とびこみ自殺したグラビア女優。川本三郎の個人的な断片をとおして、近所の家の夕飯を、そこらの道端で匂いだけかいだぐらいに空気を味わったかんじ。あとがきで、川本三郎が、一人称をどうしても「私」にしてしまう、「僕」はイノセントすぎて使えない、いつかこの時代を「僕」で語れるときがくるかもしれないと言っていたのが印象的だった。わたしも絶対に「あたし」を使えないのだが、そのうち、あたしって言うようになるんかな。歳くってから、若かりしころの抑圧をやっとこさ解放して、あの頃身につけられんかったピンクのフリルだとか、紐パンだとか、そういう感じで、「あたし」を身にまとうことができるかもしれん。