まみ めも

つむじまがりといわれます

私の絵日記

桜は葉桜になりだした緑とピンクのモザイクがひそかに好きなのだが、それも終わってしまった。あちこちの庭先でブルームする花の彩り。わが家にも花の苗がとどいたので、こないだ、鉢に植え替えした。見覚えのある花たちなのに、無頓着なわたしには名前が知れない。名前を呼びたいというのはなんだかドメスティックな感情なのかもしれないなと思いつつ、名前を知った花にであうと、それをもぐもぐ口の中で咀嚼しながら歩いている。チューリップ、パンジームスカリモッコウバラシバザクラハナミズキハクモクレン。保育園のお迎えにでた帰り道、路肩のタンポポやひなげし、ハルジオンを手折って持ち帰るのだが、ひなげしはふと気づくと花びらが風にとばされてなくなっているし、ハルジオンは根こそぎ抜けてしまう。タンポポは家のなかではかたくなに花びらをとじて、地の花であることを主張する。そんなことがいちいち物珍しく、雑なわたしなりに丁寧に生きていきたいなあと思ってみたりする。

私の絵日記 (学研M文庫)

私の絵日記 (学研M文庫)

つげ義春夫人藤原マキによる絵日記。舞台女優だったとかいう彼女の絵は、下手くそなタッチで細部まで丁寧に書いてあって、じっと見ているとつげ家の生活がぷーんと匂ってくるようだ。素朴な世界観のなかで、どんどんとつげ義春が病んでいくのがおそろしい。けっこう壮絶な生活だとおもうのに、子を叱る藤原マキの頭には鬼の角が描かれていたりして、脱力感に救われる。なのに、つげ義春による巻末インタビューがごっそりと素朴さをひっくり返しているのでちょっとびっくりする。
つげ家の本棚に、宇野浩二川崎長太郎が並んでいること、精神科を受診したつげ義春について「オトウサンの病院での結果は、血沈、胸とも異常なし、たゞ平衡感覚が少し変と云われたらしい。」というくだりを読んで、つげ義春猫町体質なんだろうと思ったことを付記しておきたい。