まみ めも

つむじまがりといわれます

うさぎのミミリー

フクちゃんがならし保育早々でひいた風邪を、まんまと引き受けてしまったらしく喉と鼻がすっきりしない。いましかできない贅沢をやろうといさんで小粋なレストランに乗り込み、スプマンテを一杯、前菜の盛り合わせにパスタ二種、パンにはホイップバターを塗りたくり、そこまではよかったが、ランチコースのメインの肉の皿を平らげたあたりで体がずっしりと重たくなり、頭もじんじんして、その日は夕飯のたぬきうどんもあまり食べられずこどもたちと一緒に寝てしまった。
セイちゃんは、いつからか、ねむたいときや甘えたいときには耳たぶを執拗にさわってくる。四月になって耳たぶを触らせてくれていた先生がべつのクラスにうつったせいか、朝はワーワーと泣きわめくことが増え、すこし荒んでいたのだが、このところ新しい先生の耳たぶを触るようになったとのことで、どうやら馴染んできたらしくほっとする。先生、急に耳をさわられてキャーといったらしい。ちょっと憂いをおびた美人の先生なので、キャーというところ、見てみたい気がする。

うさぎのミミリー

うさぎのミミリー

庄野潤三はせきれい、貝がらと海の音に続いて三冊目。平凡ではあるが稀有な老夫婦の暮らしを綴るシリーズを、前後がめちゃくちゃになりながら読んでいる。どこをとっても螺旋のようにおなじ色した淡い日々の繰り返し、おなじ日々のうえを確実に歳月がながれていくのが、とてつもなく惜しい。イッセー尾形の「いつか、スパゲティ」のなかのことばを借りるなら、
豊かな人生って平凡な生活の中にしか無いと思うの。
ということかもしれない。
おなじことの繰り返しにちょっと飽き飽きしながら、すっかり安心しながら、読んでいる自分もいい。