まみ めも

つむじまがりといわれます

うちの宿六

火曜の夜は、こどもたちを寝かしつけしていたら、となり近所から、二度、ワーッ、はいった、はいった、と歓声がきこえてきて、その声の色で、代表戦のなりゆきがしれたけれども、あとから録画でみたところが、果たして歓声のとおりだった。本田が、インタビューで、まんなか蹴ってとられたらしゃあないって言ってたのが、よかった。みなさん期待してないかもしれないですけど、優勝するつもりなんで、っていうのもよかった。あと、翌日のニュースのカズのコメントにしびれた。
「14年のブラジルW杯は、日本人の誰にでも出場できる権利がある。高校生にも大学生にも、46歳の僕にあっても間違いじゃない」
カズはやっぱりスターだなあと思う。どこまでも突き抜けてサッカーに一直線している。本気でてっぺんをめざしとるからね。おそろしくピュア。ホンダも、そういう資質があるような気がする。わたしも、W杯の召集を視野にいれて、体調は万全にしておこう。人生でいっぺんぐらいゴールネットを揺らしてみたいじゃない?

うちの宿六 (中公文庫)

うちの宿六 (中公文庫)

吉行淳之介の本でこの人のなにかのエッセイがいいと書いてあって、そのエッセイは蔵書になかったが、著者検索したら、このタイトルがとびこんできて、読むしかないと思って予約して借りた。
序文として、「うちの宿六」が「わが女房」と題して書いた文章がのっていて、それを読むと女房もなかなかのもんで、列挙するに、朝寝坊、甘いものが大好き、シネマが好き、手前勝手、臆病者、強情、欠点だらけの女だが美点もある(召使にたいする思いやり、迷信に負けない)、とこんな感じ。それがまたなまやさしいもんではなく、朝寝坊といっても夕方まで寝ているし、チョコレートはいっぺんで1ポンド食べてしまうらしい。たしかに写真をみたら板チョコならばりばり飲み込んでしまいそうなおばさまだ。この人たちはかなり華やかな暮らしをしていたにちがいなく、華やかさがひととなりにしみついている感じ。わたしみたいに朝の四時半からこどもに起こされて、赤子をおぶいながらインスタントコーヒーで賞味期限切れの防災用ビスケットをみみっちく齧るような人間は、貧乏とはきってもきれない腐れ縁になっちゃってる。
一方の「うちの宿六」はというと、

この息苦しい世の中に「今日の苦労は今日で足れり」と別にクヨクヨもせず儲かりもしない仕事を楽しみ、何を考えているのか黙々とよく食べ、よく眠り、一年に十六本の傘を無くし、五年も居る女中の顔も覚えず、白髪頭二十四貫の図体で赤いネクタイをかけお臍を出して喜んでいる男など一寸のんびりしたもので、こんな人間でも今時生きてられるという証しの為にも、少しばかりその行状をお話しするのは、幾らか人様の気持を軽くするかもしれません。

こちらもなかなか。とくに傘のくだりは、宿六の性格がいちばん知れるエピソードかもしれない。ほか、マチスやルオーとの交流、パリでの暮らしなど、たのしませてもらった。